戦後70年企画連続インタビュー■10■ 勝谷太治氏(日本カトリック正義と平和協議会会長) 報復は応酬の連鎖生むだけ 2015年12月25日

 本紙創刊から7年目の1953年に掲げられた本紙標語「平和憲法を護れ」「再軍備絶対反対」は、その後も変わることなく題字と共に掲載されてきた。戦後の安全保障をめぐり大きな転換点を迎えた70年目の日本。この国と教会の行方を識者に問いつつ、キリスト教ジャーナリズムのあり方を読者と共に模索する。最終回は、カトリック札幌教区司教で正義と平和協議会の会長を務める勝谷太治氏。

観念的すぎる議論が目立つ

――戦後70年を振り返って思うことは?

勝谷 今年は、安保関連法をめぐる論戦が国会内外やネット上でも繰り広げられましたが、目についたのは誠意のない答弁や反対者の人格を否定するような非難中傷、観念的すぎる議論でした。わたしたち信仰者は、イデオロギーや、単なる理念で反対者を論駁しようとしているのではありません。福音の観点から、社会の中にあって小さくされている人の痛みに共感する福音の「心」にその根拠を置きます。

 先日、報道ステーションの古舘伊知郎キャスターが、「空爆による誤爆もテロ」という趣旨の発言をし、ネット上や週刊誌でもバッシングされました。一般市民を無差別に殺害するテロと空爆による誤爆を同一視するのは見当違いだという批判です。

 しかし、わたしもニュースで発言を聞いていましたが、理屈上のテロと空爆の同一視ではなく、突然理不尽に愛する者を奪われた人の視点に立ってみれば、テロも誤爆も彼らにしてみれば同じことではないかという、犠牲者の痛みに共感する立場からの発言だったと思います。その上でこのような現実が正しいわけがなく、武力による解決以外の方法を模索するよう提案していたはずです。

 日本人は先の大戦から、戦争のもたらす一般市民への甚大な被害を体験しました。それは、日本のみならず、アジア諸国へ与えた被害も含め、一般市民に対する無差別な攻撃による殺戮の体験でした。特に、原爆による被害は言語を絶するものでした。

 しかし、それが正当な戦闘行為か一般市民への犯罪的無差別大量虐殺であったかという議論はあまり表立ってなされていません。その議論よりも、むしろ、被害の悲惨さと苦しみを全国民が共有したところから、その原因となった戦争を二度と起こしてはならないと強く決心し、不戦の理念を掲げた憲法を心から受け入れ支持し続けて来たのです。

 そして、世代を越えて受け継がれてきたこの体験はわたしたちの心の奥底に恒久平和の希求と不戦の誓いとして刻み込まれていると感じています。戦後70年を経て、この悲惨な体験の実感とそれへの共感が薄れ、戦争を観念的にとらえて判断することに懸念を感じます。

――本紙が「平和憲法を護れ」「再軍備絶対反対」という標語を掲げ続けてきたことについて。

勝谷 わたしはそれを、福音書が教える平和主義に基づく「福音の要請」と感じています。特に憲法の前文と9条の理念は時代によって変わっていく国際情勢に左右されてはならない、普遍の理念です。福音書が現実に合わないからといって、内容を変えるということはあり得ません。押し付けられた憲法などという批判があっても、主張し続けてほしいと思います。

実質的に運動広げるために

――今後の教会のあり方についてご提言を。

勝谷 カトリック教会は、9・11同時多発テロの後2001年10月4日に常任司教委員会が声明を出しました。その中の一文は次の通りです。

 「テロの犠牲者を悼み、その死に報いる途は、軍事的報復行動によって犠牲者の上に更に犠牲者を重ねることではないはずです。武力による報復は、問題の解決をもたらすどころか、世界を暴力と憎しみの果てしない応酬の連鎖に引き込むだけです。しかも、その繰り返しの中で、テロ行為とは関係のない多数の一般市民の生命が、奪われることは不可避です。また多くの難民を作り出すことも明らかです」

 残念ながら、この時懸念していたことは皮肉にもまったくそのとおり現実になってしまいました。今回のフランスでのテロでも、米国議会でのブッシュ演説の再現としか思えない光景がベルサイユ宮殿で展開され、それを支持する国によってまったく同じ対応がとられようとしています。日本の取るべき道は、有志国を支持したり、ましてやそれに参加して後方支援にまわったりすることではないと強く願っています。

 先の声明は次のように結んでいます。「キリストは人々の憎しみと排斥の中にあって、『剣をさやに収めなさい』と弟子たちを戒め、和解とゆるしを願って十字架に上り、そのために自らの生命を差し出したのです。それは一見、無力な行為のように見えます。しかし、その十字架は予想し得な かった新しい生命を生んだのです。具体的に、今回のような難しい現実に立ち向かおうとする時、私たちはこのようなキリストの視点に立つことが大切であると信じます。どんなに時間がかかっても、無駄に思えても、このキリストの生き方に従っていこうではありませんか」。同じ主張を繰り返さなければならない現実を憂慮しながらも、なおあえて主張し続けていくことが大事だと思います。

 同時に、政治問題として教会が深く関わることが適切かどうかという懸念を示す方がおられるのも事実です。

 わたしも安保法案をはじめとする安倍政権のやり方には反対ですが、「政権打倒」と声高に叫ぶことにはやや違和感を覚えます。個別具体的な政策が福音に照らして、信仰者として受け入れるべきかどうかを問う必要があります。

 正義と平和協議会もこれまでは、預言者的役割として言うべきことを言うというスタンスでしたが、それだけでは支持が広がらないので、実質的にこうした運動を盛り上げていくためには、まさに福音の「心」に共感してもらえるような工夫もしていきたいと考えています。

――ありがとうございました。(聞き手 松谷信司)

 かつや・たいじ 1955年、北海道生まれ。86年、室蘭地区で司祭叙階。小野幌教会、夕張教会、長沼教会、手稲教会、北26条教会、円山教会、北広島教会、恵庭教会、千歳教会で司牧。2013年10月に札幌司教(札幌教区長)となる。この間、北海道カトリック学園理事・幼稚園長、北海道いのちの電話評議員などを歴任。2014年から日本カトリック正義と平和協議会会長。

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