【空想神学読本】 「千と千尋の神隠し」に見るヘブライ語聖書の「陰府」観 Ministry 2016年冬・第28号

 2001年公開の宮崎駿監督作品「千と千尋の神隠し」は、神隠し譚という日本古来の題材をもとに繰り広げられる少女の試練と成長の物語。和風ファンタジーという趣ながら、作中で描かれる世界観は、ヘブライ語聖書が語る「陰府」と重なり合う。

 千尋が迷い込んだ不思議の町は、日没とともに変貌し、恐怖に駆られた千尋は、もと来た道を戻ろうと走る。しかしそれを阻んだのは、いつの間にか満ちていた水であった。あるはずのない街の明かりがきらめき、異形の客を乗せた船が着岸する……。

 この場面で千尋は、水に阻まれ、戻れないことを思い知らされる。彼女はひとり、この世ならざるもののための風呂屋「油屋」で働く。孤独な千尋を助け励ましてくれる大切な存在ハクは、白い竜(竜は一般に水を司る)である。千尋が「カオナシ」という存在を招き入れたのは雨の晩であり、それによって海ができる。本作は水に彩られた物語である。

 千尋は、「湯婆婆」に操られ「銭婆」に対して罪を犯し、呪いを受けて命を蝕まれるハクを助けようと奔走する。その間、カオナシは己の欲するままに食い物を食い、ただひとり意のままにならない千尋を求め暴れ狂う。

 千尋は、ハクの罪を償い命を救うために湯婆婆の双子の姉、銭婆の住む駅「沼の底」へ赴こうとする。カオナシも道連れにして。

 青い空と茫漠とした海の境界線を歩んでいく千尋は、小さく頼りないが、美しく強い。その姿は、人の生きる様をうつしているようであり、その構図は、聖書が描きだす世界観と重なり合う。

 千尋の目の前には「水と水を分けよ」(創世記1・6)との神の言葉によって現れた世界が広がっているようである。混沌としていた水は下と上に分かれ、下の水は海となった。そして、水に隔てられた地の底には、すべての生き物がやがて行き着く「陰府」が広がっているのだ(ヨブ記26・5)。人間は、空と海の間の小さな地で生きている。

 聖書は陰府を、泥の詰まった穴だと描写する(詩編40・3、69・3)。まさに「沼の底」だ。そして千尋の乗る「海原電鉄」に戻りの電車はない。陰府も行ったら戻れない(ヨブ7・9)。この場面で、千尋以外の人間は皆ぼんやりと透けた黒い影として描かれるが、陰府には人間の影のような分身がいるととらえられていたようである(O・カイザー、E・ローゼ著『死と生』ヨルダン社)。

 「沼の底」に着くころには、夜になる。闇は陰府の特色である(ヨブ10・22、詩編143・3)。「沼の底」には銭婆の素朴な家があるが、これはヨブ記やコヘレトの言葉で言われる、陰府の「家」としての比喩を思わせる(ヨブ30・23、コヘレト12・5)。

 銭婆は、千尋たちが入るや否や扉を閉め、前に立ちはだかるような不気味な動作をする。千尋は迎えにきたハクと共に帰るのであるが、もし迎えがなかったら、帰ることができたのだろうか。二つの世界を隔てているところの水、それを司る者の手引きがあって初めて帰り得るのだと見ることができる。

 己の欲に呑まれ狂っていたカオナシは、銭婆の家に留まると決める。そこには過剰さがなく、欲を掻き立てるものがない。カオナシにとっては安息の地なのだ。

 「そこでは神に逆らう者も暴れ回ることをやめ/疲れた者も憩いを得」(ヨブ3・17)。だが、人間は生きる限り欲を捨てることはできない。

 水の底、闇の地、戻れぬ地、また安息の地……聖書は陰府をそう捉える。そして、千尋が向かった「沼の底」もまた……。千尋とともに不思議の町に迷い込んだら、そこは聖書の世界と通じていた、そんなこともあるかもしれない。

(藤方玲衣)

*「陰府」という日本語は『聖書 新共同訳』準拠。

参考文献 小林洋一「死者はどこへ ─ヘブライ語聖書における死者の居所の諸相とその変遷─(上)」(『西南学院大学 神学論集』67‐1所収)/小松和彦『神隠しと日本人』(角川文庫)

【作品概要】千と千尋の神隠し

生きている不思議
死んでいく不思議
花も風も街もみんなおなじ

 トンネルのむこうは不思議の町だった。ありえない場所があった。ありえないことが起こった。人間の世界のすぐ脇にありながら、人間の目には決して見えない世界。土地神や様々な下級神、半妖怪やお化けたち。そこは、古くからこの国に棲む霊々が病気と傷を癒しに通う温泉町だった。
 10 歳の少女千尋の迷い込んだのは、そんな人間が入ってはいけない世界。この町で千尋が生き延びる条件はただふたつ。町の中心を占める巨大な湯屋を支配する湯婆婆という強欲な魔女のもとで働くことと、名前を奪われて、人間世界の者でなくなることだった。

■監督・脚本 宮崎 駿
■製作 鈴木敏夫
■出演 柊瑠美、入野自由、夏木マリ、中村彰男、玉井夕海、内藤剛志、沢口靖子、神木隆之介ほか
■音楽 久石 譲
■主題歌 木村弓「いつも何度でも」
■製作会社 スタジオジブリ
■2001年7月公開

 

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【Ministry】 特集「ボクシたちの失敗~『しくじり』を教訓に」 28号(2016年2月)

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