〝聖書は道徳を凌駕している〟 道徳の教科化めぐり、小副川幸孝氏が講演 2016年3月5日

 「キリスト教教育と道徳教育――道徳の教科化を巡って」をテーマに、九州学院チャプレンの小副川幸孝氏(日本福音ルーテル教会牧師)が2月9日、日本カトリック会館(東京都江東区)で講演した。主催は日本キリスト教連合会(岡田武夫委員長)。

 小副川氏は、道徳教育用の教材「心のノート」を改訂した「私たちの道徳」の問題点を挙げた。2014年に配布された「私たちの道徳」は、「明確な自己認識をもつこと」「他者への思いやりと礼儀・共生」「自然や崇高なものとのかかわりに関すること」「集団や社会とのかかわりに関すること」という四つの柱を持つ。これは一見すると、近代ヒューマニズム的な思想に基づいているが、近代の人間中心主義や世俗的な成功主義が見え隠れしていると同氏は指摘。

 道徳教育に掲げられている徳目、目指されている人間像は、「ある程度の生活基盤が整い、健康と能力に恵まれ、常に向上していこうとする意思を持ち、他者との関係も円滑に保ち、他者への配慮を持ち、地域や国家、社会に有意な人間として生きることができる者。社会の中で誰からも認められ、成功する者」であるとし、「特に、目的を持ち、目的に到達するために努力することができる者。定められた法を順守し、国民的義務を果たし、郷土と国家を愛し、国家のために役に立つ人間」が強調されていると解説。「ここには人間の現実の姿が抜け落ちている」と訴えた。

 「世の中の役に立つことはすばらしいことだが、たとえ役に立たなかったとしても、人間は存在しているだけで大変大きな意味を持っている。これがキリスト教の根幹にある人間観。この人間観に反するような事柄が、『私たちの道徳』の中で言われている」

 同氏は、「そもそも『宗教』は『道徳』の代替なのだろうか」と問い、「『道徳』が『善』を追求するなら、『宗教』は『聖』を追求する。しかし聖なるものは善なるものの根源にあたる」と主張。「聖書は道徳の要となるような事柄をわたしたちに提供してくれている」とし、聖書が道徳の事柄をすべて含み、凌駕しているとの自負を持って聖書の授業を行い、福音を伝えていくことが必要だと語った。

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