〝回心なしに、伝道なし〟 更新伝道会集会で近藤勝彦氏講演 2016年6月18日

 メソジスト運動の創始者、ジョン・ウェスレーの回心記念日にあたる5月24日、日基教団鳥居坂教会(東京都港区)を会場に、更新伝道会(藤村和義会長)による「回心記念日集会」が開かれた。東京神学大学前学長・名誉教授の近藤勝彦氏(日基教団銀座教会協力牧師)が「日本伝道と回心――Conversion」と題して講演=写真上。41教会から150人以上が参加した。

 開会礼拝では、鳥居坂教会主任牧師の野村稔氏が「尊くすばらしい約束」と題して説教。その後、参加者全員で聖餐式にあずかった=写真下

 近藤氏は講演の冒頭、「回心なしに、伝道なし」と述べ、「牧師も信徒も共に、回心の実を結びつつ伝道の難局を乗り越え、信仰者としての生涯をささげていきたい」と呼び掛けた。

 同氏は、日本伝道のテーマとして回心を考えると、戦後日本のキリスト教の根本問題として回心が問われると主張。「戦時中の超国家主義による精神的な〝金縛り状態〟の中から、戦後福音によって回心し、キリスト教信仰の中に新しい人生の活路を見出して、伝道に献身した人たちがかなりの人数いた」とし、「今日の教会がどこまで真実に信仰を告白し、福音信仰とその伝道に生きているか、回心の道を本当に貫けたのかと疑問に思われることが多い」と述べた。

 そして、世俗主義的な規範喪失社会の中に巻き込まれ、道徳的規範の弱体化した状態の中にあって、キリスト者としての主体性やキリスト教的アイデンティティ(キリスト者であること)をあいまいにしているのではないかと危惧した。

 「回心」は、キリスト教的アイデンティティの中に入れられることであり、それがあいまいになるたびに、もう一度それを明確にするよう求められると説明。「信仰上の誘惑」「生活上の誘惑」「倫理・道徳的な誘惑」の中を、キリストによって「自由の身にされた者」として生きるのがキリスト者の生き方であり、その気風がなければ伝道の前進は期待できないと訴えた。

 その上で、「回心」を個人的経験として強調すると、それが「功績」や「誇り」になる危険が伴い、回心経験がない人はそれを羨むことにもなるとして、本来の意味での福音的な回心を明確にするために、聖書の中に示された「回心」に注目。「回心」は、くよくよと悔やむ主観的な心理的自己攻撃を含む「悔悛」とは異なり、意志的で全生活的な方向転換だと強調、その聖礼典は洗礼以外にないと述べた。

 回心とは神に立ち返ることであり、古い自分に死に、新しい命に生かされることだとし、神への立ち返りが起きると、そこに生活転換が起き、それはキリストの十字架の中で起きているのだと論じた。「洗礼を受けたことによってあずかったキリストの十字架における『決定的な回心』は、わたしたちがその後に罪の誘惑に屈したとしても少しも色あせることなく、あの『ただ一度の十字架』の中でわたしたちの生涯の最後まで、最後の審判に至るまで、決定的に有効に働き続ける。わたしたちは決定的な意味で『キリストのものとされ』、もはやそれ以外のものになることはない」。

 最後に、「回心」の生活的表現は、神に生きることであり、それは他者に対する愛、喜び、平和に生きることだと強調。また、聖書に聞き従うことと、祈りの力が増し加えられることが回心者の生活に欠くことができないと指摘。さらに、「日本のプロテスタント伝道の弱点は『殉教者』を生み出してこなかった」ことにあるとし、「日本伝道の今日の厳しい状況は、いのちをかけてキリストとその福音にささげることが不十分だった日本の教会に対し、神から与えられた試練であり、回心の機会だと思う」と主張。「主イエスのため、また福音のためにいのちを失うという『証言者』の生き方があるのではないか」「一旦は自分を捨てる。そして前進するということが重要ではないか」と問い掛け、講演を締めくくった。

 更新伝道会は、日基教団の信仰告白を堅持し、ウェスレーの信仰を継承し活かし、メソジズムの研修・普及・実践を志す団体。

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