【教会の彼方】 危機の時代にキリスト者として立つ(1)青木有加 人権はイデオロギーではない 2016年8月13日

 戦後70年を経て岐路に立つニッポン。参議院議員、そして東京都知事を選ぶ大きな節目を越え、なおも混迷する政治情勢の中、今年も灼熱の〝8月15日〟を迎えようとしている。世界では米大統領選やイギリスのEU離脱に象徴される排外主義の台頭が目覚ましい。教会と国家、信仰と政治をめぐっても、さまざまな言論が飛び交ってきたが、憲法が掲げる理想の平和像とは程遠い現実が横たわる。この夏、一人の牧師、信徒、有権者としての素朴な声を集めてみた。教会の次代を拓く若者たちは、その「彼方」に何を見る――。(本紙・松谷信司)

 2015年初夏、安保関連法制が審議されていたころ、憲法破壊の動きに危機感を持ち、仲の良い教会の友人で集まり、祈り会を始めました。その中心メンバーが実行委員となり、すでに関西で開催されていたキリスト者の集会「PMPM(Peace Makers’Prayer Meeting)」を名古屋でも開催しました。今年6月には3回目を数え、100人以上の牧師や信徒が参加しました。

 私が属している教会は10人程度の小さな群れで、そのうち3人が弁護士という特徴があります。日ごろから遠慮せずに牧師も信徒も憲法の問題について話をしており、「教会で『憲法カフェ』をやろう」ということになりました。

 私自身はデモや市民集会に参加することもあります。市民運動に携わると、日曜日の集会に出るかどうかという課題も出てきますが、基本的に時間帯を問わずすべて参加しないことにしています。私はキリスト者なので日曜日は礼拝に行きますし、これは譲れないということを、身近な人に普段から説明するようにしています。私がそんなことを言うからか分かりませんが、友人の弁護士は人権に関する憲法の講演で、「世の中には日曜日に毎週教会へ行くことにこだわっている人もいる」と話すそうです。職種によっては話しづらい場合もあるかもしれませんが、言えば分かってくれるし、興味を持ってくれると思います。

 「左翼」と思われることは心外です。さまざまな社会問題に関する自分の考え方を振り返ると意外と自分は「保守」なのかと思うこともあります。基本的人権の保障を目的とする憲法を壊していくという政治に抗うということについては、考え方の異なる人々とも一緒に行動したいと思っています。M・ニーメラー牧師の告白は教訓です。70年もの間、日本で親しまれてきた憲法を壊し、個別的自衛権は認められるという政府見解を覆すのは果たして「保守」なのでしょうか。

 基本的人権は国際水準で、特定のイデオロギーではありません。憲法そのものも政治的な主義主張ではなく、たくさんの違う考えを持つ人々が一緒に暮らすための知恵です。むしろ「中立」と言いながら黙っている牧師や教会の方が心配です。信仰の自由が危機にさらされた今、祈り行動することは教会の役割と言えるのではないでしょうか。キリスト者の武器は祈りですから、数人で祈る、憲法カフェなど参加しやすい集会に行ってみる、本を読むということから始めてみてはいかがでしょうか。

 私の両親は高卒で、政治や社会について特に学んだ人ではありませんが、戦前の日本やナチス・ドイツによる戦争や人権侵害を扱う番組を見て、家庭でも話題にしていました。『火垂るの墓』を観た後に怖くて寝られないということもありましたが、人権侵害の歴史を自然に学べましたし、人間が容易に犯してしまう罪の性質を知ることにもなったと思います。

 私を信仰に導いたものの一つは、礼拝をしている大人たちの真剣な表情でした。同じように歴史や憲法や政治についてもタブー視せず、むしろ堂々と話題にするという姿を見せることが、最低限必要なことではないでしょうか。ある時、クリスチャンではない市民の方から「クリスチャンの方々は本当に熱心に戦争法(安保関連法制)に反対していますね」と言われたことがあります。その人はクリスチャンの行動を喜んでいました。

 私たちキリスト者は、他の人が譲れても体制に従えないという部分があるので、いつか本当に逮捕されるのではないかとリアルに心配しています。迫害を受けた初代教会の歴史に学べば、地上が不完全であり、暗い時代があることは理解できます。「憲法カフェ」が必要とされる時代の中で、恐怖や不安が募る一方、もしかしたらこれを機によい変化があるかもしれないという希望があります。

(あおき・ゆか=日本同盟基督教団千種キリスト教会員)

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