映画『神様の思し召し』公開 天才外科医とカリスマ神父の交錯 2016年9月3日

 己の腕のみを信じ、因習的な価値観の一切を嫌悪する天才外科医。ある夜、息子が神父になると言い出したことをきっかけに、目に映らないものは神をも唾棄するこの外科医が、前科持ちのカリスマ神父と交錯する。映画『神様の思し召し』(配給=ギャガ)は、この2人の対決と和解を描いて観客を終始笑いの渦へと誘う良質のコメディだ。

         © Wildside 2015

 カリスマ神父の経歴は謎に包まれている。外科医が友人の警察幹部に問い合わせても、収監歴以外はまったく不明。そこで外科医は自らの素性を偽り神父に接近し、あれこれと策を弄して暗部を暴こうと企むのだが、すべてが失敗に終わっていく。この企みと失敗の連鎖がおかしく、また現代イタリア社会の諸相をうかがわせて興味深い。

 カリスマ神父による型破りな説教は、本作前半のハイライトだ。若者たちの集う怪しげな地下会場へ現れた神父は、円形劇場のような座列を埋めた聴衆を見上げながら、聖書に独創的な翻案を施して語り出す。この神父による現代的で大胆な翻案の逐一が、若者たちの心を一瞬でさらっていく。

 「手術の成功と神の奇跡は関係ない、すべてはわたしの力だ」と誇る外科医が、やがて奇跡を祈るしかない心境に立った自分を受け入れていく。遠くイブン・スィーナからトマス・アクィナスへの継承をも想起させる2人の対決構図が描く余韻は、思いのほか深い。傲慢で峻険な表情を崩さない外科医が、自力ではどうにもならない環境世界の営みに神父の言葉を想い起こして、ふと頬を緩ませる一幕は格別に良い。

 真夏の朝、頬をなでる風や、熟した洋梨が枝から落ちる一瞬に神のみ業を見る神父の言葉には、イタリアの大地そのものの根源に接続する種の力を感じる。それは自然科学がいまだ獲得できていない、個別特殊の諸歴史を越えた人間存在の全体を、個別の表現へと還元し宿すことのできる伝統宗教の強さでもある。(ライター 藤本徹)

 新宿シネマカリテほか全国順次ロードショー。

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