賛美歌を〝共有〟する!? 歌集編纂の関係者が教派超え議論 2016年10月8日

 現在、日本ではさまざまな種類の賛美歌集が出版されている。教派教団を超えて賛美歌を共有することは可能だろうか。そもそも賛美歌を共有すべきなのだろうか。「いま、賛美歌の共有を考える」をテーマに、日本賛美歌学会(高浪晋一会長)の第16回大会が9月10日、立教学院諸聖徒礼拝堂(東京都豊島区)で開催された。日基教団、カトリック、聖公会、ルーテル、バプテスト、福音派の歌集編纂に関わりのあるパネリストの議論を通して、約120人の参加者が賛美歌の将来を考えた。

「共通の歌」リスト作成できるか

 大会前半では、手代木俊一氏(賛美歌史家、立教大学立教学院史資料センター員)が「明治期における讃美歌編纂――『共通讃美歌』にいたるまでとその後」と題して講演。続けて水野隆一氏(日基教団讃美歌委員会委員長、関西学院大学神学部教授)が「『共通賛美歌』のアンビヴァレンス(両価性)――『讃美歌』(1954年版)から『讃美歌21』へ」と題して講演した。

 水野氏は今回の講演が日基教団讃美歌委員会の公式見解ではなく、同氏の個人的見解であることを前置きした上で、同委員会が編集した54年版『讃美歌』と、その改訂版として97年に刊行された『讃美歌21』について解説。海外の歌集の例を紹介し、日本において賛美歌を共有するための方法として、次の三つを挙げた。

 一つは、ドイツの歌集の構成に倣い、本体の部分を「共通の歌集」として編集し、各教派の独自編集の部分を加えるというもの。二つ目は、1903年版『讃美歌』のような「共通の歌集」を編集すること。三つ目は、英語文学で言う〝カノン〟のような「共通の歌」リストを作成すること。

 水野氏は、三つ目の方法が最も実際的だとしつつ、「協定に基づくリスト」として実定化するためには、協定の「誠実な履行」が求められると強調。またドイツや英語圏と異なり、一つの曲に複数の異なる訳がある場合、どの日本語詞を採用するか、という問題があることを指摘した。

 最後に、「『賛美歌の共有』という言葉で表される事柄が、さまざまな受け止め方をされる、あいまいなものであることが、この問題の難しさをよく表している」と指摘。「最も重要なことは、『共有』の必要性を、賛美歌を歌うわたしたちが共有すること」だとし、「『賛美歌の共有』についてはアンビヴァレントな反応があることを『共有』しておく必要がある」と訴えた。

訳詞の違いは多様性につながる

 パネルディスカッション「賛美歌の共有について思うこと」では、江原美歌子(新生讃美歌編集委員、日本バプテスト連盟宣教部教会音楽室長)、中山信児(福音讃美歌協会副理事長、日本福音キリスト教会連合菅生キリスト教会牧師)、松本義宣(日本福音ルーテル教会讃美歌委員会委員、同教会神戸教会牧師)、水野、宮越俊光(日本カトリック典礼委員会秘書)、宮﨑光(日本聖公会「祈祷書改正委員会」委員、同東京教区司祭、立教大学チャプレン)の6氏がパネリストとして登壇。それぞれ教派や歌集を代表する立場としてではなく、個人として自由に発言した。山本美紀氏(日本フリーメソジスト教団加古川キリスト教会勧士、奈良学園大学教授)が司会を務めた。

 パネリストの属する各教派の歌集は次の通り。日本バプテスト連盟は『新生讃美歌』、日本同盟基督教団、日本福音キリスト教会連合、イムマヌエル綜合伝道団で構成される「福音讃美歌協会」は『教会福音讃美歌』、日本福音ルーテル教会は『教会讃美歌』、カトリック教会は『カトリック聖歌集』と『典礼聖歌』、日本聖公会は『日本聖公会聖歌集』をそれぞれ刊行している。

 「賛美歌の共有」について宮﨑氏は、「同じ賛美歌でも訳詞が違うことは、かえって多様性、豊かさにつながるのではないか」と述べ、「いろいろな訳がある中で、本当に良いものが残っていくのでは」と主張。宮越氏は、「(カトリックでは)信徒でも聖職者でも、他教派の聖歌を歌うことに関して、意識がそれほど高くはない」とし、今大会の企画が共有意識を持つための第一歩だと語った。

 松本氏は、「ルーテルのような弱小教団で、独自歌集の編纂、発行、安定供給を維持するのは、かなり負担が大きい」と述べ、共通の基本歌集を制定して独自の部分を加えるという案を個人的に支持。「他教派も同じ方法をとることで、それぞれの伝統に根ざした歌が豊かになっていくのでは」と提言した。

 水野氏からは「一つであること」と「多様であること」の結節点について質問がなされた。江原氏は、1968年から続く超教派の「教会音楽祭」において、「訳の違い」という問題の解決策として、新しい歌を歌っていることを紹介。「賛美歌はエキュメニカルな働きの表れだと思う。バプテストでは、他の派で生まれた賛美歌をあらためて訳し直すことはほとんどない」と話した。

 異なる訳詞が作られる理由として「神学」や「教派的伝統」が挙げられることについて水野氏は、その背後に個人的な「好み」が影響していると指摘。中山氏は、「翻訳は妥協とあきらめの産物。散文であれば正確な意味を翻訳することができるが、詩文はすべての意味を網羅して美しい歌える言葉に移し替えることが不可能」と述べ、「それぞれの訳に長所、短所がある。それが賛美歌翻訳の現実」と語った。

 宮越氏は、一つの曲に複数の訳詞が存在すること自体を知らない人が多く、それらを比較検討する材料があれば、多様性を知ることができ、新たな発想が出てくるのではないかと述べた。

     ◆

 司会の山本氏は、「牧師が礼拝のたびに、データベースからどの訳で歌うかを選ぶ時代が来るのではないか」と予想。水野氏は、1008曲を収録したオランダの歌集を例に、賛美歌として歌われる歌が多様化している現状を指摘した。

 賛美歌が増えていることに対して宮﨑氏は、「受け継ぐべきものでないものは捨てた方がよい」と主張。「同時代性の回復」をキーワードに挙げ、作詞家の阿久悠氏の言葉を引用し、時代の飢餓感に命中する歌を生み出すべきだと述べた。

 それに対して水野氏は、「同時代性を表す歌は新しく作られた歌だけだろうか」と疑問を呈し、古い歌の中にも時代に合致する歌があるのではないかと主張。さらに、「飢餓感に応えるだけの歌と、それを超える歌があるのではないか」「賛美歌は飢餓感を慰撫するだけでよいのか」と問い掛けた。そして、「我々が共通のものとして同時代性を見つけられるのは聖書。聖書の現代のパラフレーズが新しく生まれてくることが大事」と述べた。

 最後に山本氏は、「『共有する必要性』ということに関して、その是非も含めて丁寧に話をしていかなければいけない。『共有する』ということは、『統率する』『統一する』という暴力的行為にも通じる可能性がある。〝カノン〟がそもそもどういうものかを考えるプロセスの中に対話があり、〝カノン〟が可視化されていくことで、データベースやネットワークが作られていくのだろう」と結んだ。

 後半では、今大会に合わせて編纂されたオリジナル歌集『主よ 来てください 風になって』の収録曲を参加者全員で歌った。

 

写真(左から)江原、中山、松本、水野、宮越、高崎の各氏

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