【空想神学読本】 「エヴァンゲリオン」と福音書にみる正典的アプローチの実際 Ministry 2016年秋・第31号

 新世紀エヴァンゲリオン(エヴァ)が公開されてから聖書やキリスト教は中二(厨二)ワードの宝庫としての地位を確立したようにみえるが、その実、エヴァと福音書には何の本質的共通点もないと言っていいほど、エヴァのストーリーに転用されるキリスト教用語は原型を留めていない。しかし、皮肉にもエヴァの創作スタイルは、福音書と正典成立の系譜に類似した様相を呈することになった。

 エヴァTVシリーズが放映されたとき、碇シンジの精神世界を描写した最後2話の展開に多くの視聴者は置いてけぼりをくらった。劇的な幕切れとは裏腹に、何が起きたか、あるいは物語の展開上、何が起こるべきかはある種はっきりしていて、「シンジが他者の存在に触れざるを得ない世界のあり方を許容できるようになる」というテーマであったと筆者は理解している。その断固とした表現は美しさを纏っているとはいえ、手放しに評価することも難しい。つまり、平易な説明を求める視聴者を、単に無理解と断罪するわけにもいかなかった。そうしてエヴァ旧劇場版は公開され、「何が起こったのか」を陽に表現するための製作がなされた。

 福音書という文学様式の皮切りはマルコであった。いくつかの写本が抱えている現実であるところの、イエスの墓から女たちが逃げ出し、「恐ろしかったからである」で終わる異様な文書はいったい何を示しているのか。イエス自身またみ使いの証言の通り、イエスは十字架にかかって死んだ後、3日目によみがえると予告されていた。そして墓が空になったという事態が指し示す現実は一つである。もちろん原本にはこの続きが記されていて、ネズミが噛んだせいでそれが失われてしまったのかもしれないが、少なくとも、マルコ福音書がそこで終わることを許容できなかった読者がいたことは明白で、つまり、Shorter Ending とLonger Ending がそこに誰かしらによって付加されたのである。ここに至ってようやく福音書の読者はよみがえりの主にお会いできる。

 このあと福音書という文学がたどっていった歴史はどういうものだろうか。新約聖書としてのちに採用される四福音書以外にも偽筆含め多くの福音書が存在する。わざわざ有名な使徒の名前を騙る必要はといえば、それは二次創作の一つのあり方なのではないかと筆者は思う。そこには原作者ないし登場人物と二次創作者の自我の混同がみられる。原作者をリスペクトしているのかもしれない。しかしそこには自分に都合のいい「設定」が入り込む。これが外典の一つの要因である。ある意味でグノーシス主義は二次創作の走りを生んだのだ。だが、なお正典となった福音書ですら一つの書物では福音、あるいはイエスの全体を描きだすことができなかったのであろう。マタイ、ルカ、そしてヨハネがマルコの後に続く。エヴァも、漫画版と新劇場版が公式から提供された。

 マルコにはマルコの、マタイにはマタイの神学がある。なるほどマルコはわざわざ地の文で、弟子たちはパン種とはパリサイ人とサドカイ人のことだったと悟ったなどとは書いていないし、TV版の葛城ミサトは漫画版ほど説明口調ではなかった。あまりにも少ない最低限の情報しか提供していなかった最初の作品に、後発の作品が解説を入れる必要を感じるのは自然なことだ。そして筆者は、新劇場版の荒れようを観てヨハネ福音書的なエネルギーを受けとった。このような対比が私たちに指し示すことは、一つの物語をそれぞれ読んでいくことの大事さ、そして、相互対応の限界である。すなわち、「渚カヲルにシンジが当初どのくらい友好的だったか」という問いが無意味であるように、「イエスはあわれんで」というすべてに共通ではない描写を福音書間で照らし合わせて統合して理解しようとすることの危険性である。

 もちろん、エヴァは一つの制作元が作っているものであって、公式とそれ以外の区別は、原作者とそれ以外という区別に他ならない。しかし、福音書群の中で正典という地位を与えられているものはマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つであってそれ以外ではないという変えがたい事実の前に、私たちは反論する手立てを持たない。その意味で、正典は公式なのである。もちろんマルコ福音書が黙示文学の影響を受けていたり旧約外典からの引用を持っていたりすることや、福音書間の影響を考慮すると、公式と非公式との相互のやりとりはむしろ前提として福音書の研究はなされている。さすがに二次創作の服装の設定がエヴァ公式に引き継がれてしまったなどという事態を福音書に対応させることはできないが。

 いま一つ筆者が指摘すべきことは、公式が公式であることの意義である。エヴァにおいてすらこれを問うことができる。碇ゲンドウがヒゲを剃っている画を見なければならないのは、はっきり言って公式が病気である。公式は公式であってほしい。何を持って皆が二次創作し、あるいは頭の中でエヴァという作品群の描き出す群像劇を理解し整理するかを性格付けるのは、どこまでいっても公式の役割であって、そこをはみ出していくときには、自覚的にするというのが道義である。正典外典問わず福音書を並列して扱うことからは、いったい何が見えてくるだろうか。

 初代教会で多く用いられていた正典福音書群は読者の共通見解を反映しているだろうか。そして四つの福音書を読み終えたときに見えてくるイエス像のために、エヴァシリーズを制覇した後に見えてくるシンジ像から示唆することはあるだろうか。

(御堂大嗣)

【作品概要】 新世紀エヴァンゲリオン

 ──西暦2000 年。南極に大質量隕石が落下。かくして有史以来未曾有のカタストロフィー「セカンド・インパクト」は起こった。水位の上昇、天変地異、経済の崩壊、民族紛争、内戦…。世界人口は半分に激減。
 ──それから15 年、ようやく復興の兆しが見え始めた頃、人類に新たなる危機が訪れた。「使徒」である。次々に襲来する正体不明の巨大戦闘兵器群。はたして彼らはその冠する名のごとき「神々の使い」なのか……。
 予測されていた「使徒」の襲来に対抗するべく人類は汎用人形決戦兵器「エヴァンゲリオン」を開発。2015 年にはすでに3体を実用化していた。そして「エヴァ」のパイロットには、「3人の少年と少女」が選ばれた。大人たちは彼らに未来への希望を委ねざるをえなかったのである。その肩に、人類の存亡という大きすぎる運命を担った少年たちの戦いが今、始まる──。

 庵野秀明監督、GAINAX の原作によるSF アニメ作品。1995 ~ 96 年にかけて全26 話が放送された。70 年代の『宇宙戦艦ヤマト』、80 年代の『機動戦士ガンダム』と並び、後のアニメへ影響を与えた第三世代のアニメ作品でもあり、爆発的なアニメブームのきっかけとなった。貞本義行による同名漫画が、テレビ放送に先立つ94 年から連載され、2013 年に完結した。2006年には、新たな設定・ストーリーで「リビルド(再構築)」した『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズ全4作の制作が発表され、12 年までに3作が公開されている。

■原作 GAINAX
■監督・脚本 庵野秀明
■キャラクターデザイン 貞本義行
■音楽 鷺巣詩郎
■キャスト 緒方恵美、三石琴乃、林原めぐみ、宮村優子ほか
■アニメーション制作 タツノコプロ、GAINAX

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【Ministry】 特集 サブカルチャー宣教論編 ニッポンの教会が見出す新たな地平 31号(2016年11月)

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