モンゴル語聖書の歴史と課題シンポ 池澤夏樹氏「翻訳への努力投入されてこそ」 2016年11月26日

 現存する印刷物だけでも200年ほどの歴史を持ち、復刻や分冊を含めて130超の版が残されているというモンゴル語訳聖書。近隣諸言語との影響関係や、翻訳を取り巻く文化交流の様相について明らかにしようと、「モンゴル語訳聖書とアジアのキリスト教文化」と題する学術シンポジウムが11月5日、清泉女子大学(東京都品川区)で開催された。日本モンゴル宗教文化研究会、清泉女学院大学教育文化研究所、清泉女子大学キリスト教文化研究所が共催した。

 シンポジウム開催にあたり、芝山豊氏(清泉女学院大学学長)があいさつ。同氏によると、モンゴルにおけるキリスト教は、遊牧部族のケレイトが1009年にネストリウス派のキリスト教に改宗したことに始まり、元代にカトリック隆盛期を迎える。当時、詩編と4福音書のモンゴル語訳が存在していたという。

 清朝禁教期を経て再びキリスト教が活動したのは18世紀末。プロテスタントの宣教活動の中で、モンゴル文語の新旧約聖書が翻訳された。同時にカトリック宣教によりカテキズムの翻訳も開始。1920年代、北モンゴルで成立したモンゴル人民共和国は宗教活動を禁止したが、東モンゴル、南モンゴルではヨーロッパ、北米からの宣教活動が続く。1990年代に入り、モンゴル人民共和国はモンゴル国となり、制限付きながら宗教活動が認められ、聖書配布も合法になる。今年8月には同国初のモンゴル人カトリック司祭が叙階された。

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 最初のテーマ「アジアのなかのモンゴル語聖書翻訳史」では、ガラム・バヤルジャルガル(モンゴル・ユニオン聖書協会聖書翻訳プロジェクトリーダー=写真上)、都馬バイカル(桜美林大学准教授)、竹田文彦(清泉女子大学教授)の3氏が研究発表を行った。

 バヤルジャルガル氏は「現代モンゴル語訳聖書の歴史と課題」と題して発表。モンゴル・ユニオン聖書協会は、2014年から「モンゴル人による原典からのモンゴル語聖書翻訳」プロジェクトを開始し、28年の完成を目指して翻訳を進めている。同氏は、1990年以降にモンゴルで出版された聖書翻訳の歴史をたどり、2種類の聖書翻訳を比較しながら、翻訳を行う際の問題点などを紹介した。

 次のテーマ「聖書翻訳の理論と実践」では、滝澤克彦(長崎大学准教授)、金岡秀郎(国際教養大学特任教授)、荒井幸康(北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター共同研究員)の3氏が研究発表を行った。

 昨年『越境する宗教 モンゴルの福音派』(新泉社)を上梓した滝澤氏は、「19世紀前半におけるモンゴル語聖書翻訳の歴史的文脈」と題し、19世紀前半のI・J・シュミットによる聖書翻訳と、W・スワンとE・スタリブラスによる聖書翻訳の相違点を分析。「神」という語をシュミットが「上」を意味する言葉に訳したのに対し、スワンとスタリブラスは「仏」を意味する言葉に訳し、偶像を越えた存在を表現する言葉としてそれを解釈していた点などを紹介した。

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 全員参加のディスカッションでは、ゲストコメンテーターとして池澤夏樹氏(詩人、作家、翻訳家=写真下)が加わり、岡洋樹氏(東北大学教授)がファシリテーターを務めた。

 池澤氏は、翻訳を行う際の問題として、翻訳者が言葉を補うことの是非や、文語・口語の問題、直訳・意訳の問題などを指摘。明治期に訳された文語訳聖書について、「文学者に評判がよい。荘重でリズミック、間延びしていない」と述べ、それに対して口語訳聖書は「あなたがた」など、発音しにくい言葉を多用していると、文学者の視点から意見を述べた。

 池澤氏は今回、医師の山浦玄嗣氏の代理でこのシンポジウムに参加した。気仙地方の方言で山浦氏が翻訳した「ケセン語訳聖書」を紹介し、「山浦さんは毎日患者の愁訴を聴いている。それはケセン語。人と親密に、心と心で話す時は、気取った立派な言葉にしないだろうと、ケセン語に訳した。しかしそれはケセン語だからできるのであって、我々が普段使っている標準語ではそこまでの伝達はできない」と述べた。

 「自身の作品が他言語に翻訳される時に、どのような翻訳を望むか」という会場からの質問に対しては、「翻訳を超えてなお伝播する力を持つ作品」を「世界文学」と呼び、「作家の手を離れたものが自分で旅をしていく。翻訳はコントロールしようがない。さまざまな言語の作品が行き交っているのが今の世界的な文学の状況。翻訳なくして今の人類はあり得ない」と強調。聖書翻訳については、「皆さんが議論し、力を合わせて、最もよい訳を作るように努力が投入されて当然の作品。同じ日本語でもさまざまな翻訳が出てくる。その中で読者は自分に合ったものを選べばよい。そこまで準備するのが翻訳業界の責務であると思う」と語った。

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