【映画評】 宗教間の宥和テーマにムスリム描く「イスラーム映画祭2」 2017年1月14日

たった一人で始めた「イスラーム映画祭」。その2回目となる「イスラーム映画祭2」が、東京と名古屋でこの1月に開催された。3月には神戸開催を控えている。企画意図を交え東京開催の模様をレポートする。

日本では、まだまだ縁遠く感じている人も多いイスラーム。昨今はテロと結びつけた報道ばかりが世上を賑わせてもいる。イスラーム映画祭企画者の藤本高之さんは、バックパッカーとしてイスラム圏を旅していた20代の体験から、報道で日々形作られるイスラームのイメージに違和感を覚えていた。そして映画をとおしてなら、一般のムスリムがどういう人たちなのかを身近に感じてもらえるのではと思い立ったという。

 東京開催では、計9本の映画が上映された。構成の特徴としては、非イスラーム圏に現在属する国の作品の数も目立つ。たとえば仏教を国教と定めつつもムスリム主体の南部県を擁するタイの青春物『蝶と花』や、かつて豪奢なムスリムのマハラジャが君臨したインドのモノクローム作品『十四夜の月』。

 またイスラームの中核である中東圏からの上映作でも、他宗教との交接を描くものが際立った。『マリアの息子』は、イランの片田舎に暮らしアザーンの朗唱を得意とする少年が、村のカトリック教会に住まう老神父を助けるべく奔走する物語だ。いまだ記憶に新しいエジプトにおけるアラブの春を描いた『敷物と掛布』は、カイロのコプト教徒居住区が主な舞台となる。古代キリスト教を独自に受け継いできたコプト教を知る人間にとっても、現代都市カイロの片隅に暮らす彼らの映像に触れられる機会は稀だろう。

 会場となった渋谷の映画館ユーロスペースは連日盛況で、上映後のトークイベントが企画された日などは、夜回が昼には完売続きとなる大入りに終わった。2015年12月に開催した初回時には、客足を危ぶむ不安は深刻なものだったというのが嘘のようだ。企画者の藤本さんは映画業界で働いた経験はなく、映画配給のワークショップに参加してノウハウを学んだという。このたった一人の情熱が、これだけの人々を現に動かし、人々の心の内なる風景に新たな色彩を与えていく。いつの時代も真の公共は私の自発性に端を発する。文化の豊かさとは、こうした流れの総体をいうのだろう。

 レバノンの砂漠の小村を舞台とする『私たちはどこに行くの?』では、住民の男たちがムスリムとクリスチャンに別れて諍い合う。『ミスター&ミセス・アイヤル』では、バスで移動中の若い男女がヒンドゥー対ムスリムの暴動に巻き込まれる。タイのドキュメンタリー映画『改宗』で、ムスリム男性のプロポーズを受けイスラームへの改宗を決意した主人公女性は、引越し先のタイ南部での生活で次第に孤独を深めていく。しかしそのいずれの作品においても、主人公たちは予想し得ないドラマを経て困難を乗り越えていく。

 宗教間の宥和が大きなテーマに掲げられたイスラーム映画祭。3月の神戸開催の後、来年度以降の第3回開催についても前向きに検討中だという。(ライター 藤本徹)

 

「Ministry」掲載号はこちら。

【Ministry】 特集「教会を開く」 32号(2017年2月)

映画・音楽・文化一覧ページへ

映画・音楽・文化の最新記事一覧

TO TOP