【教会の彼方】 〝迷える羊〟は地域の中に 「教会に還る」終着点を 佐々木炎 2017年4月15日

 さまざまな困難を抱えた現代社会の中で、教会が「地域に仕える」ためには何が求められているのか。主の復活を祝うイースターを前に、牧師として、福祉の専門職として、高齢者から子どもやその親に至るまで、全世代を対象に幅広い福祉事業を展開する佐々木炎氏に話を聞いた。(聞き手 松谷信司)

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利用者だけでなく職員の尊厳も

 まだ介護保険制度が導入される前の1998年10月、新しい教会でどのように宣教していくのか考えた時に、旧態依然とした方法ではなく、地域の人たちと課題を共有しようということでデイサービスを始めました。当初、社会福祉士の資格を持つ妻とわたしを含めスタッフは3人でした。

 かつて「措置制度」が主流だった福祉の業界では、一人ひとりがサービスを選んで決められるという主体性、個別性が尊重されていませんでしたが、「選べる介護」をモットーに定員7人という小規模でスタートしました。デイサービスを始めたのは市内で2番目、介護保険を宗教法人で始めたのは日本で初でした。

 その後、地域と時代の要請に応えて高齢者の訪問介護、居宅介護支援(ケアマネ)、知的障害者のグループホーム、子育て支援のためのヘルパー派遣や広場、成年後見などに活動を広げてきました。現在は、高齢者のデイサービスでは、一緒に料理をしたり、体操をしたり、要介護の高齢者と母親と子どもによる世代間交流も行っています。

 ホッとスペース中原の特徴は、介護福祉士の資格保有者が70~80%いることです。それは、神さまが尊ばれる一人ひとりを、言葉だけでなく、存在を用いて宣教したいという思いからです。スタッフのキリスト者率は30~35%で、採用の条件にもしていません。ノンクリスチャンを大切にするのは宣教のためではなく、人口の99%を占める彼らがどういう思いを持っているかということを分かち合えるためです。彼らは、わたしたちがどうあるべきかを教えてくれる存在でもあります。

 時にはノンクリスチャンのスタッフと価値観の違いでぶつかることもあります。例えば「盆踊り」は「夏祭り」にしようとか、そのような意見の刷り合わせを丁寧にしていきます。

 わたしはスタッフが宣教の第一のターゲットだと考えています。すべての利用者やその家族まで、わたしたちは宣教できません。利用者の最も近くでお世話をするスタッフが納得して初めて家族、利用者、地域などに向き合ってくれるわけです。

 キリスト教系の施設でも、「尊厳を大事にして利用者に関われ」とは言いますが、尊厳をもって職員に関われていないところも多いと思います。それでは宣教できません。

「してあげる」から「共に歩む」へ

 2025年には団塊の世代が後期高齢者になり、2040年には団塊の世代が年間約160万人亡くなるという統計もあります。大きな社会問題ですが、教会にとってはチャンスです。死で終わりではないというキリスト教の死生観を訴えていくところに、宣教の意味があるはずです。

 認知症の問題も、究極には「人間の価値は認知機能で測るのか」という問題を教会に突き付けます。市場経済の中で、教会も潜在的に生産性があってお金を稼げることに価値があると思っていませんかと。「なぜ生きてきたのか」「自分は何者なのか」などと考えながら神に出会うというチャンスに恵まれるのが、高齢期であり、存在そのものに価値があることを教えてくれるはずです。ですから、問題を解決することも大切ですが、変えられない現状の中にキリストが共にいる恵みをわたしたちが見出し分かち合う宣教のチャンスなのです。

 貧困とか社会的孤立とか虐待とか、社会的問題に関われというのではなく、その根底にある本質、人との絆がなく「あなたは大事な人」と言ってくれる存在がいないという人々と出会って、関わって、一緒に歩む。何かをしてあげるのではなく、一緒に歩んで、絆をつないでいけばいいと思います。それがあって初めて、その先に永遠の絆を積極的に結びたいと命を懸けて約束している方に出会うことができると思います。

 教会に高校受験を控えた家庭環境が複雑な中学3年生がいたので、その子が高校に進学できるようにと学習塾をしました。その子が約束の時間に1時間以上遅れて来るので、教える側の教会員が怒り出してしまいました。でも、関わりを通して相手の実情が分かっていき、次第に「来てくれてありがとう」「よく来た、よく来た」というように、教える側も変わっていきました。はじめは来てもなかなか座らなかったりしたのが、ようやく座るようになったり、学習が続くようになって、高校受験で無事に受かることができました。

 そうやって心が痛んでいる子も、教会員も変わっていく。困っている人に何かをしてあげるのではなく、そういう人と一緒に歩んでいったら自分も変わるし、その人も変わるし、教会も変わる。そういう関わりが大事だと思います。

 牧師1人ではどうしてもできることに限りがありますし、得意不得意もあります。わたしたちの教会は教会に来ている人と職員を合わせて80人ほどいますので、牧師も80分の1に過ぎません。だからわたしは、現場のことをいちいち手取り足取りやらなくていい。それぞれの専門性を生かせばいい。分母が増えれば、それだけ継続できますし、24時間対応もできます。

 デイサービスの良いところは、「足が痛い」「腰が痛い」って自慢し合う点です。そういう愚痴をこぼすことが大事。その中に恵みが表れてくる。お互いにありのままでいられて、それが教会にも反映します。

 わたしたちは礼拝後の報告で、個々人の報告もしています。みんなの前で困っていることを話すことによって、地域社会に足りないものが見えてくる。そここそが、教会が伝えていくべき福音であり、そこから組織神学などに還っていければいいと思います。

本質的ニーズに応えるために

 福祉業界は2割が社会福祉法人、8割を営利企業が担っているため、市場原理によって淘汰されていくのが宿命です。そうすると、どうしても利用者を満足させて終わり。孤独や不安の解消という本質的なニーズには応えられない。高齢者、障害者、子どもが購買者、消費者となってしまいます。新自由主義によって、近年さらにその傾向が強まりました。

 教会を中心とした福祉事業は、キリストそのものを伝えることができます。十字架上のキリストの痛み、我々の存在の痛みが重なって復活に至ります。

 受洗者を増やす、献金額を増やすことが教会の本質ではありません。もともと教会そのものが福祉という働きを担っていましたが、戦後「福祉は社会福祉法人が担うので教会は担わなくていい」ということになりました。そして教会が形骸化して地域を失いました。迷える羊は教会の中だけでなく、外側にもいる。そういう意味で地域に出ていくのは当然だし、宣教するのも当然です。

 一般の福祉施設との違いは、「教会に還る」ということです。終着点がなければ、単なる点で終わってしまいます。大きな意味での普遍的な「教会」につなげていくことが、今こそ必要だと思っています。

(ささき・ほのお=ホッとスペース中原代表、日本聖契基督教団中原キリスト教会牧師)

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