24年ぶり展示 「バベルの塔」の時代背景と魅力 寄稿 真下弥生(ルーテル学院大学・東京神学大学非常勤講師) 2017年5月27日

 東京・上野の東京都美術館で7月2日まで開催中の「ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル『バベルの塔』展」。同作が日本で展示されるのは24年ぶりとあって注目を集めている。また、ブリューゲルに影響を与えたとされる画家、ヒエロニムス・ボスの貴重な油彩2点も来日。同展の見どころについて解説してもらった。

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見る者の想像力を解放する描写

 筆者は24年前、セゾン美術館(1999年閉館)で開催された「ボイマンス美術館展」で、『バベルの塔』を見た時の印象を、今なお覚えている。街中で展覧会のポスターこそ目にしていたが、作品のサイズが想像以上に小さかったこと。長期にわたる造営の末、経年変化した塔の外壁の描写。ありえない大きさの塔の姿を構想する画家の想像力と、現実味が随所ににじみ出る表現との、絶妙なバランスに心をつかまれたものだ。

 その時の展覧会は混雑とはほど遠く、『バベルの塔』もじっくり見ることができたが、今回は開幕から3週間あまりで来場者が10万人を突破し、ツイッターで混雑状況が毎日更新されるサービスぶりに、美術展もずいぶん変わったものだと思わずにはいられない。

 再度日本にやってきた『バベルの塔』の細密描写については、展覧会の広告やウェブサイトがいささか煽り気味に解説しているので、そうした話題はひとまずおき、この作品の背後の状況について、少し紹介しておきたい。

 ピーテル・ブリューゲル(父)の手になる「バベルの塔」は、2点の現存が確認されており、もう1点=写真下=はウィーンの美術史美術館が所蔵している。大きさはボイマンス版の倍にあたり、ブリューゲルと同時代のアントウェルペンの豪商、ニコラス・ヨンゲリンクが所蔵していた。建設途中の塔を中央に据えた構図は共通しているが、美術史美術館版には、画面の左手前に、建設現場を訪ねる王と従者、その足元にぬかずく労働者たちが描かれている。

 この絵が題材とした旧約聖書・創世記11章のエピソードにはない描写だが、フラウィウス・ヨセフスが1世紀に執筆した『ユダヤ古代誌』には、神を凌駕しようと塔の建設を命じる王ニムロドが登場する。ブリューゲルは王に加え、そのようなこの世の権威に従わざるを得ない人々の姿も描き込んでいる。また当時のアントウェルペンは、ヨーロッパ有数の裕福な商業都市でもあった。河岸に建てられたブリューゲルの「バベルの塔」は、流通で栄えたアントウェルペンの姿を重ねているともみえる。

 この直後に描かれたと考えられているボイマンス版では、前景にいた王たちは姿を消し、高くそびえる塔の内外で、無数の人々が作業にいそしむ様子が活写される。ブリューゲルのまなざしは塔そのものにとどまらず、その周辺にいつしか形成されていった道や港、そこに行き交う人々の営みにも注がれる。

 一方で、すでに塔に追い越されてしまった雲が、粛々と続けられる人間の仕事を俯瞰するように流れる姿に、個々の細部から引いた視線へと引き戻される。ブリューゲルは、当時の人々がなじんできた物語を、わかりやすく画像に置き換えることにとどめず、むしろ見る者の方が絵の世界に入り込んで、自ら物語を作り出すよう誘うかのようだ。見る者の想像力を解放する描写は、この絵が現代人をも引きつける理由の一つだろう。

宗教改革前後の閉塞感と混乱も

 見る者を引きこむ力は、今回ともに展示されているヒエロニムス・ボスにも共通している。出展作品の一つ『放浪者』では、後ろを振り返りながら歩き去ろうとする男のたたずまいや表情、描きこまれた後景の描写に、ユーモラスかつ冷徹な人間観察の目が光り、500年後の鑑賞者をもどきりとさせる。『バベルの塔』のように特定の物語を描いた作品ではないが、新約聖書・ルカによる福音書の、放蕩息子のたとえ話を下敷きにしているという説もある。

 今回の展示は、ボイマンス・フォン・ベーニンゲン美術館の幅広いコレクションから、ブリューゲル、ボスの生きた15~16世紀のネーデルラント(現在のベネルクス三国を中心とした地域)の美術を中心に構成されているが、当時の社会の雰囲気を知る手がかりとして、大切なキーワードを頭に入れておきたい。今年500周年を迎える、宗教改革をはさんだ時期にあたることだ。

 ドイツに端を発する宗教改革のインパクトは、ヨーロッパ各地の政治や信仰の世界に広く波及し、ネーデルラントも例外ではなかった。もっとも、ボスは宗教改革を見ることなくこの世を去り、ブリューゲルが生まれ育った時期は、すでにカルヴァン派の潮流がネーデルラントを覆いつつあったが、彼自身は、最終的にカトリックにとどまった南部のアントウェルペンやブリュッセルで活動している。

 この2人だけをとっても、生きた時期にも地域にも幅があり、宗教改革の影響がひと目で分かる形で絵画に表出されているとは言えないが、その前後に漂っていた社会の閉塞感、価値観の転換が顕わになってからの混乱、それを笑い飛ばすユーモアやニヒルな目が、ブリューゲルの版画群をはじめ、展示作品の随所に顔をのぞかせている。

 最後ではあるが、展覧会冒頭のネーデルラントの木彫群にも触れておきたい。元あった教会の空間から引き離され、ガラスケースの中で「美術」として展示されてはいるが、雑然としていたであろう社会の中での教会の空気を、また異なる側面から伝えてくれる。
(7月18日から10月15日まで国立国際美術館に巡回)

ピーテル・ブリューゲル(父)1526/30~1569年

 16世紀ネーデルラント絵画を代表する巨匠。版画下絵作家として頭角を現し、後に油彩画の制作も行った。油彩画は特に希少で、現在、真作は40点ほどしか残されていないとされる。聖書の物語や人々の暮らしなど、素朴さの中におかしみや教訓などを盛り込んだ作品で知られる。

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