【宗教リテラシー向上委員会】 退屈なニュースが立体的に…!? 波勢邦生 2017年7月1日

 たまに「宗教者として」意見を求められたり、紹介されたりすることがある。そのたびに困ったなと思う。「宗 教者」という言葉は曲者だ。何かしら宗教を信じている人々をまとめて呼ぶのには便利だが、それ以上の何をも表現していない。少なくとも、「信者の自己理解」には密着していない。借り物で仕着せの表現だと感じる。たとえば自己紹介で「宗教者の〇✖です」という人はまずいない。

 牧師や神父ならば、〇〇教会・教区に仕える司祭・神父だろうし、お坊さんなら〇〇宗の僧侶というだろう。キリスト教徒の場合は「クリスチャン」とか「キリスト者」、イスラム教徒の場合は「ムスリム」だろうし、創価学会ならば「学会員」 、 真宗ならば「門徒」という表現をきっと 選ぶ。その方が、より現実と実感に 即した表現だからだ。

 もちろん表現の中立性を願う言葉運びだろう。しかし、「宗教者」という語がカバーする範囲はあまりにも広い。地球人類70億の8割が何かしら宗教を信じているからだ。そうなると、やはり「宗教者」という語 で一括するには難しい多様性と現実がそこに見えてくる。同時に、現代 日本において宗教とその信者が、ぼんやりとした雑な言葉「宗教者」に押し込められている様子がうかがえる。

 大手報道各社は東京中心目線で論じる。政治・経済の中心地だからだ。では宗教の中心はどこだろう。それは、大乗仏教などの総本山が多く集まる京都だ。報道各社が加盟する「宗教記者クラブ」の存在は宗教における京都の首都性を示している。また観光客と大学密度のために、東京と神戸を抑えて、京都市の中心部は、若者の割合がもっとも高い。京都市人口の1割が学生であり、彼らは、御所と繁華街、大学と寺社を敷き詰めた重箱弁当のような狭い範囲にぎゅっと集まって暮らしている。当然、歴史と新しさが混淆し、文化が日々生まれては消えていく。つまり、宗教を報道するならば 東京中心ではない別の視点、地方の角度が必要なのだ。

 「キリスト新聞」は聖書とキリスト教を中心にした文化の専門紙だ。 マスメディアではあるが小規模なので大手各社のような報道はできない。しかし、キリスト教を中心に「宗教」という補助線を引き、政治・経済のダイナミズム、その渦中と底に流れる人々の歴史と文化、実感の深掘りを行うことはできる。宗教の現場にいるからこそ、見えて知り得ることを報じれば、平坦で退屈なニュ ースが立体的に迫ってくる。

 だから、近代キリスト教メディアの主たる目的は、文明批評と社会教育のためのジャーナリズムだ。信仰告白は教会の仕事であって専門紙の仕事ではない。 50年以内に9000万人未満(3500 万人が65歳以上)ともいわれる日本語話者の中で、日本語キリスト教はますます減少するだろう。だからこそ専門紙として、日本語に根付いたキリスト教の豊饒さと多様性の確保のために、公共性をもった言葉で語りたいのだ。ザビエル以来、懷を借りてきた大乗仏教などの日本的霊性、兄弟宗教のムスリムの言葉は、日本語キリスト教を語り、記録・保存・継承するには欠かせない隣人の声だ。

 本欄「宗教リテラシー向上委員会」は、そんな意図から、宗教学者の川島堅二氏、浄土宗僧侶の池口龍法氏、日本人ムスリムのナセル永野氏を執筆陣に迎えた。 公共性のある言葉で社会に発信してきた各氏の語りは「宗教者」の殻と壁を破って立ちのぼり、この世界と、この世ならざる世界の奥行を見せてくれるだろう。次号をお楽しみに!

 

波勢邦生  「キリスト新聞」関西分室 研究員
 はせ・くにお 1979年、岡山県生まれ。京都大学大学院文学研究科 キリスト教学専修在籍。研究テーマ「賀川豊彦の終末論」 。 趣味:ネッ ト、宗教観察、読書。

似顔絵©肉村知夏

連載一覧ページへ

連載の最新記事一覧

TO TOP