【教会建築ぶらり旅】 今村天主堂■十字の肖像 藤本 徹 2017年9月21日

 わたしのもとに来て、わたしの言葉を聞き、それを行う人が皆、どんな人に似ているかを示そう。それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人に似ている。洪水になって川の水がその家に押し寄せたが、しっかり建ててあったので、揺り動かすことができなかった。(ルカ6:47~49)

 曇天のもと筑後川をさかのぼり、佐賀から筑後平野を内陸へと進む。すると鉄道からも幹線道路からもはずれた田園風景のただなかの、一見して古くからの集落とわかる家屋の群れの中心に、その教会堂は現れた。

 今村天主堂。低層の家屋ばかりが集まる一帯にそびえたつその聖堂の、八角のドームを擁する双塔の煉瓦の赤と、高く主廊を覆う瓦屋根の黒とが生むコントラストがひときわ目に映える。明治政府によるキリスト教解禁後の1879年、この地へ派遣されたジャン・マリー・コール神父は既存の土蔵をミサに使用し、はじめの1年で
1千人を超える人々に洗礼を授けた。江戸の禁制下を生き抜いた隠れキリシタンの逸話として著名な長崎・大浦での「信徒発見」は1865年だが、実は同じベルナール・プティジャン神父によって2年後の1867年、
この今村地域でも200戸ほどの隠れキリシタンが「発見」されていた。

 その後、教会は拡大を続け、現聖堂は1913年の竣工。設計は鉄川与助。鉄川は、外海での伝道で知られ
るドロ神父のもとで建築を学び、五島や天草など隠れキリシタン集落での教会新築を多く手がけた人物で、
大浦天主堂の施工と原爆による破壊後の再建の両方にも関わった。

 聖堂は一般に多くの地域で、21世紀の今日にあっても街の中核に座している。このことは伝統的なキリスト教圏である欧州だけの話ではなく、植民地時代の欧米列強は中南米においてもアフリカ・アジアにおいても、新規に拓く町の中央にまず教会堂を置き、あるいは旧文明の神殿跡に教会を建て、新たな時代の到来を意図的であれ無自覚にであれ象徴づけた。(つづく)

【Data】今村天主堂(カトリック福岡司教区カトリック今村教会)
竣工:1913年(大正2年) 設計・施工:鉄川与助
双塔ロマネスク様式煉瓦造(内部木造)、三廊式バシリカ型、リブ・ヴ
ォールト天井
間口14.6m/奥行37.1m/主屋高18m/塔屋高22.5m

藤本 徹
 ふじもと・とおる 
埼玉生まれ。東京藝術大学美術学部卒、同大学院 美術研究科中退。公立美術館学芸課勤務などを経て、現在タイ王国バンコク在住。

 

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