【宗教リテラシー向上委員会】 ことばを通じた他者の経験  波勢邦生 2017年10月1日

 9・11テロから16年が過ぎた。当時、第三次世界大戦の幕開けを予感したが、実際にはテロの泥沼が待っていた。ゆとり第一世代、絶望ネイティブの友人はいう

「小学校の時に阪神・淡路大震災、オウムの地下鉄サリン、酒鬼薔薇聖斗事件があって、中学では9・11テロ。高校では自爆テロの話ばかり聞いて、大学に入ったらリーマンショックで世界恐慌。やっと就職したら、今度は東日本大震災。世界って良くなっていくものでなく、基本的に壊れていくものなんだなぁ」

 先回、ナセルさんがロヒンギャ迫害について書いていた。宗教と人間に「内在する暴力性」は、古くて新しい課題だ。おそらく他のどの宗教よりも人々を迫害し殺した、我々キリスト教徒が言えることではないが、当欄で川島さんが語っていたキリスト教エキュメニズムの他宗派、無宗教への拡大は重要な視点だ。争いから交わりへ、違いではなく一致点へと謙遜に足を進める時、同じく池口さんが語った「自他不二の平等観」から「あらゆるものとの共存を願う心」の場が見えてくる。

 先月末、第118代アレキサンドリア教皇タワドロス2世に取材する機会があった。宗教改革についての質問に「改革」という言葉は良いものであるが、宗教改革以前の1500年の歴史から学ぶことも重要だと彼は答えた。

 歴史は、人の営みの鏡だ。スマホで世界中がつながり、いくら自動化が浸透しても、戦争はなくならず、 搾取は複雑化し深刻化した。歴史の二の轍を踏まないように学んでも、一方で現在と未来の隣人を踏みつけていることはよくある。

 壊れ続けていく世界で、歴史から何を学び、いかに今を生きるのか。どんな世界を望むのか。キリスト教がキリスト教であるために、キリスト教を捨てることにおいて、キリスト教を獲得するためには何が必要なのか。イエスのように他者に聞き、他者を尊重するには、どうすれば良いのだろう。誰かを尊敬することは、その誰かが自分の内側にいることだ。それは「ことばを通じた他者の経験」として内面化される。

 2018年ロシア開催ワールド・カップ、アジア最終予選、シリア代表がプレーオフ進出を決めた瞬間、実況中継者は感極まって「アッラー!」と彼の神の名を連呼し、泣いて喜んだ。国土は灰燼(かいじん)に帰し、アサド政権に忠誠を誓う選手しか入れない代表チームであるが、それでも人々は応援した。当然ながら自爆テロの時にだけ神の名が呼ばれるわけではな い。神の名は喜びの時に呼ばれるものだ。

 ネットワーク化した惑星には、玉石混淆の「他者のことばと経験」が溢れている。宗教多元社会で共存していくためには「ことばを通じた他者の経験」を聞き、読み、考えざるを得ない。それは「人間であること」の重大な側面、人文学(文学、史学、哲学)なのだ。

 昨今の人文学蔑視は取り返しのつかない段階に来たが、それでも学び、読み、考える者は続けなくてはならない。なぜなら、世界には「発話できない他者」がいるからだ。多く読み学び語る者は、その分を背負わなくてはならない。そういう仕組みになっている。

 理解できないことは前提だ。どうやっても衝突し、殺し合いになるく らいなら距離をとって暮らすしかない。しかし、「話せば分かる」と言って撃たれた首相のように、最後まで「ことばを通じた他者の経験」を捨てられない。壊れていく世界で、それでも誰かと共に生活するためには、「ことばを通じた他者の経験」を読まざるを得ない。読めど尽きせぬ他者の奥深さを知る時、やっと、僕らは互いの顔が見えている。

波勢邦生(「キリスト新聞」関西分室 研究員)
 はせ・くにお 1979年、岡山県生まれ。京都大学大学院文学研究科キリスト教学専修在籍。研究テーマ「賀川豊彦の終末論」。趣味:ネ ット、宗教観察、読書。

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