【教会建築ぶらり旅】 カトリック築地教会■隅の親石 藤本 徹 2017年10月21日

 隅田川の河口部、独特の車輌と人々の行き交う築地市場の賑わいから離れて、勝鬨橋を脇目に晴海通りを渡り川沿いに歩くと、眼上に聖路加病院の双塔が現れる。それら2棟の高層ビルの麓を過ぎると、人通りは極端に少なくなる。カトリック築地教会は、この閑静な区画に堂を開いている。

 「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える」(マタイ21:42)「東京」の建築史は、二度の大きな断絶を経験した。関東大震災と、東京大空襲だ。1923年の関東大震災は石造や煉瓦造の建物を軒並み倒し、1945年の東京大空襲は木造家屋が密集する下町一帯を灰燼(かいじん)に帰した。明治初期に建てられたカトリック築地教会の荘厳なゴシック聖堂は、関東大震災時に焼け落ちた。東京大空襲はとりわけ隅田川沿岸に大きな被害をもたらしたが、震災から4年後に献堂されたギリシア神殿調の外観をもつ聖堂は被害を免れた。このことが、今日の東京におけるキリスト教会建築の中で、この聖堂を特異な存在とさせている。

 カトリック築地教会。江戸末期からの外国人居留地(築地鉄砲洲)であったこの地での開堂は1878(明治 11)年。大正9年まではローマ・カトリック教会における東京大司教区の司教座聖堂。現聖堂は、関東大震災後の再建で1927(昭和2)年竣工。第二次世界大戦末期に隅田川沿いの下町が壊滅的な被害を受けたにもかかわらず、聖公会の礼拝堂を内包する聖路加病院など連合国側に関連する施設が多いこの一帯が無傷に残ったのは、米軍による爆撃回避の判断があったゆえであることが今日では知られている。

 カトリック教会といえば、ゴシック風の装飾が施されるのが日本では一般的だ。従って築地教会のパルテノンのような外見は、それだけでも珍しい。さらに聖堂正面の柱上に位置するペディメント(和建築でいう破風位置の三角部)を見上げると、植物模様の異様な平板さに気づかされる。実は石彫の外見に反して、この箇所は大正期の左官仕事に拠っている。また石造神殿調の建物全体が木造モルタルで、関東大震災直後の困窮下で再建に取り組んだ当時の神父や日本の職人達が編み出した苦心の賜物であることがうかがえる。

 隅の親石は角石とも言われ、建物の二辺の角にあって二つの辺を結びつけ確定させる。聖書においてはこの働きが、ユダヤ人と異邦人とを信仰のもとに結びつけるキリストの働きになぞらえられた。築地教会の現主任司祭であるレオ・シューマカ神父によれば、昭和初年の起工時にギリシア神殿様式が選ばれた理由は、明確には伝わっていないという。しかし、ゴシック的美麗や荘厳といった観光要素をまといがちな教会建築のイメージを巡る風潮からは逸脱したたずた佇まいを、日本のカトリックで最も深い歴史性を伴う築地教会が今日も具(そな)えて現に在るということ。むしろこの逸脱によってこそ、堅牢な風格を漂わせる木造モルタルのこの聖堂は、日本の教会建築という文脈が抱えもつ脱歴史性・脱政治性を逆説的にほのめかし、その礎の隅から鋭く対象化し続けている。

【Data】カトリック築地教会
竣工:1927(昭和2)年
設計:石川音次郎・ジロジアス神父
構造:木造モルタル塗り平屋
所在地:東京都中央区明石町5-26

藤本 徹
 ふじもと・とおる 
埼玉生まれ。東京藝術大学美術学部卒、同大学院 美術研究科中退。公立美術館学芸課勤務などを経て、現在タイ王国バンコク在住。

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