【キリスト教主義学校特集】「学校×教育×神学」現役神学生座談会 ボクらは何を学んできたのか 2017年11月21日

 教育が問われている。次世代に何をどう教え、受け継ぐべきか、現場の模索が続く。いずれもキリスト教主義の学校を経て、現役の神学生として牧師を志す3人に、自らが受けてきた学校教育を振り返り、そこで何を学び、それらが今にどう生かされているのかを語り合ってもらった。

*写真左から

戸部悠世
 とべ・ひさよ 1992年千葉県生まれ。2011年愛真高校卒業、青山学院総合文化政策学部入学。2015年東京神学大学入学。現在、同大学大学院神学研究科1年。専攻は歴史神学。

大野 至
 おおの・いたる 1992年島根県生まれ。2011年敬和学園高校卒業、明治学院国際学部入学。2015年関西学院大学神学部学士入学。現在、同大学大学院神学研究科1年。専攻は新約聖書学。

桑島みくに
 くわじま・みくに 1994年香川県生まれ。2013年愛真高校卒業、横浜市立大学国際総合科学部入学。専攻は地域政策コ ース、地方自治。2017年東京基督教大学神学部神学科教会教職課程編入学。

――愛真高校出身のお二人ですが、テレビも漫画も携帯も禁止されていると聞きました。普通に考えるとあり得ない環境ですよね。

桑島 世の中との格差はすごいですね。コミュニティの中ですべて完結しているので、不便ではありませんでした。携帯で連絡ができないのは、みんな同じ境遇だったので気にならなかったです。

戸部 今はSNSが普及しているから、長期休みで帰省した時に、携帯を持っている人と持っていない人の格差は大きいみたいですね。

――敬和学園高校はいかがですか?

大野 敬和も携帯はなし。寮には共有のパソコンがあって、メールはそれを使っていました。愛真と違って全寮制ではないので、ある意味多様な生徒のいる学校でした。

――寮生だった大野さんは、地元の生徒たちとのギャップを感じませんでしたか?

大野 週末に通学生とよく一緒に遊んでいたんですが、門限が6時で早かった。今どき6時ってどういうことだと(笑)。寮にいるとミーティングなどがあり、勉強時間を確保するのが難しかったので、もうちょっと自分の思うように時間を使いたいと思うことはありましたね。

桑島 地域との交流があまりなかったので、「山猿の学校」みたいな見られ方をして孤立感がありました。

戸部 その割にプライドが高いよね(笑)。

――逆に普通の学校ではできない体験もあったと思いますが?

戸部 外部の方の講演会が多かったですね。特に平和学習には力を入れていたので、満州からの撤退を経験したおばあちゃんの話とか、戦犯として巣鴨プリズンにいらっしゃった先生とか。

大野 敬和で特徴的だったのは、選択授業が豊富で、それぞれ好きな授業を取っていました。大学の授業に近いところがあって、自分たちで調べて、自分たちで発表するような授業が多かったです。僕自身、授業を通して大学で何をしたいかを考えることができました。ある意味先生たちが一方的に教えるんじゃなくて、生徒の知性や意欲を信頼して授業を組み立てるような構成でした。

――受験では苦労しましたか?

大野 推薦が多かったですね。たまに通学生でセンター試験を受けるような学生もいましたがかなり例外的で、「勇者」って呼ばれていました(笑)。

桑島 じゃあ、わたしも勇者かな(笑)。

 

〝言葉にして伝える訓練ができた〟
キリスト者としての生き方、集団で生活する意味問う

――礼拝は?

戸部 朝は教職員が礼拝をして、夕会は生徒が礼拝の形式をとって、語るかたちです。「夕会は愛真の命」と書かれた「夕会ノート」が回ってきて、書く量も人によってさまざまでしたが、生徒が自由に自分の考えていること、思っていることを話すんです。内容も人によって違っていて、学校への不満を言う人もいましたね。

――当時のキリスト教教育は、今どう生かされていますか?

桑島 夕会のおかげで、自分で言葉にしていく作業の訓練ができたのは良かったと思います。大学に入ってからは、そういう機会がまったくなくなって、ものすごい喪失感でした。

――まったく?

桑島 何か起きたことを表面的に話すことはあったとしても、自分自身のことを話す機会は少ないじゃないですか。生きる意味ってなんだとか、愛ってなんだとか(笑)。教会でもあまりないですよね。
 思春期だからいろいろ悩むし、いろいろ根底から覆されてぐちゃぐちゃになることもあるけど、その葛藤もちゃんと言葉にして、一緒に生活をしている人たちの前で伝えていく、しかもそこにいつも聖書がある。自分で読んで受け取って、言葉にしていくという良い訓練だったなと思います。

愛真高校で作業に取り組む桑島さん(左端)

戸部 年に一度、学校と寮の規則を見直す会もあるんですよ。「このルール本当に必要ですか?」とか、一言一句面倒くさいことを指摘する人もいたりして。そういう意味では、「SEALDs」で活動してた卒業生とかは、権利の上にあぐらをかいていない感じが愛真生だなって思います(笑)。

――大野さんも身近に愛真の卒業生を見てきたと思いますが。

大野 愛真生はすぐわかりますよ(笑)。「生きるとは何か」ということをこの人たちはずっと考えてきたんだろうなと。自分が生きるとは、他者と生きるとはどういうことなのかを、大なり小なり考えている人が多い印象があるし、しかもそれをこっちに伝えてくる(笑)。

――敬和も通じる部分はありますか?

大野 特に寮生は、集団のあり方をすごく大事にします。個人よりも集団という意味ではなく、どうしたら育った背景も得意不得意も異なる個人が集団として一緒に生活していくことができるかを考える。他者と向き合いつつ生活するという点を学ぶことができたと思います。

敬和学園高校時代の大野さん(中央)

――明治学院大学は?

大野 狭義の意味で、明学の中でキリスト教にふれるのは授業日、入学礼拝、卒業礼拝、必修のキリスト教系科目くらいだったので、特にキリスト教教育を受けたという意識はありませんが、広い意味でのキリスト教に触れる機会はあったのかなと思います。理念に「Do For Others」を掲げていたり。
 特に教員がキリスト教の専門というわけではなくても、授業の中で大学の理念がどういうものか問いとして投げかけられる。そういった姿勢が、特に国際学部にはあったように思います。そして、改めてクリスチャンである自分がどういう答えを出せるのかということを考えさせられました。

――青山学院大学はいかがですか?

戸部 週に1回、夕礼拝もやっています。コンテンポラリーな礼拝も取り入れていて、参加する学生も多かったですね。高校生時代、明治学院に見学に行ったとき、職員の方にチャペルの時間を聞いたのですが「分からない」と答えられたのはショックでした。

――青山学院から東京神学大学へ行った経緯は?

戸部 正直、牧師にだけは絶対なりたくなかったんです。そういう選択肢を逃げ道にしたくなかったという面もあります。きっかけはチャプレンのひと押しだったのですが、神さまがダメだったら止めてくれるだろうと思って試験を受けました。なので、就活から逃げたんじゃないかという葛藤は当初ありましたね。

愛真高校時代の戸部さんと全校生徒(毎年秋の稲刈り)

潜在的な「求め」に関わっていけたら
大学・神学校の枠を超えた相互交流に期待

桑島 わたしは愛真でコミュニティって大事なんだと思い、横浜市立大学では地方自治を学んでいたのですが、結局は対話ができないために、搾取が起きたり、抑圧が起きたり、犠牲の構造が生まれちゃうんだなと。
 たまたま岩手で循環農法をしている農家の方を訪ねたら、敬和の卒業生だったんです。その人はノンクリスチャンだと言い張っていましたが、全国から若い研修生がたくさん集まっていて、彼らが毎週その地域の教会の祈祷会に行っていたんです。わたしはまったくキリスト教とは関係のない文脈で岩手に行ったのですが、ここにいる若者たちは教会に何かを求めているんだと。
 しかも毎日食事の前にお祈りをするんですよ。「イエスさまのお名前によってお祈りします。アーメン」って。それで、「クリスチャンですか?」と聞いたら、「いやクリスチャンじゃないけど」って言うんです。自然の素敵な暮らしの中に祈りがあってすごく感動しました。
 そういう地域に日本社会の破れが、田園回帰として向かっていると思うし、その地域の中でより良い暮らしとか人間性を回復していくことも大事だけれども、本当の心の奥底の求めを聖書に向けなきゃ意味がないなと思って。
 地域の中に教会がある必要があるし、もちろん生活面でも援助するなど社会的に良い働きをしていく必要もあるけれども、同時に本当の救いの部分をみ言葉から語る人がいなかったら救いがないなと思って、今の東京基督教大学(TCU)に入りました。
 「キリスト教世界観」という考えを重視している 大学でもあるので、そういう意味でわたしの問題意識とつながりますし、入って良かったと思っています。

――TCUも寮ですよね。

桑島 全寮制ですが、愛真とはまた違いますね。

――大野さんはなぜ関西学院大学(関学)に?

大野 僕も牧師になるつもりは全然なかったんです。自分とまったく違う価値観、信仰観を持つクリスチャンの方々に会う機会が多くあって。それで本当にこの人たちが信じている神さまと自分が信じている神というのが同じ神なのかなと。本当に自分はクリスチャンだったのかということも考えました。
 おそらく同じように考えているクリスチャンがいるはずで、少なくともそういう人たちの受け皿に、もしかしたらなれるんじゃないか、一緒に考えていくことができるんじゃないかと思って牧師になろうと思いました。

――入学してみてどうですか?

大野 毎日楽しいです(笑)。新約聖書学はギリシア語をやらなければいけないし、英語も読まなきゃいけないし、ドイツ語もできたらいいなと思いつつ、そういう地道な努力は結構しんどいですが、それでもやっぱり小さな研究科の中で、歴史神学や実践神学などの自分が補えない部分を他の人に聞いて、教えてもらったりしていて、そういう学びがすごく楽しいです。

関西学院大学での大野さん

戸部 東京神学大学(東神大)は「実践神学」が弱いと言われています。自由選択で精神病院にカウンセリングや傾聴に行く授業もあるんですが、もやもやだけ残して終わる感じで、自分なりの形をつかめないんです。

大野 逆に関学は「組織神学」が弱いので東神大と相互交流ができたら面白いなと思います。

――今後のキリスト教教育、学校教育について思うところはありますか?

戸部 キリスト教の施設とか教育機関で働いている職員のための牧会が足りていないんじゃないかということが気になっています。先生たち自身が 疲弊していると感じるし、聖書を教えるとか、一方的なものじゃなくて、チャプレンがカウンセラーの機能を果たしているかという意味での牧会です。
 自分がもしリタイヤしたら、スーパーバイザーとしての牧師が日本にはいないので、小規模でも牧師のためのカフェとかを開けたらいいなと思いますね。

桑島 共同体としての教会をもう少し考える必要があるんじゃないかと思っています。生活と信仰が分離した結果、信仰は表面的なところで話はするけれども、実際の生活とは切り離すとか、日曜日だけクリスチャンで、あとは信仰のこととして考えない。教会共同体としてもうちょっと地域レベルでの教会の立ち位置とか、わたしたちの生活の中で信仰者として生きるという部分を考えていけたらと思っています。
 最近は山村留学が増えていて、きっと不登校とか健康上とか、いろんな理由があって1人で来て生活をしているという人たちもいるし、何かしらの求めがある。そういう人たちが潜在的にたくさんいると思う。そこにクリスチャンが関わっていけたらいいなと思っています。教会も学校も、地域に開かれていく必要があるなと思います。

大野 暗黙のルールかもしれませんが、何となく大学の枠を超えた関係を教会とも学生とも持つことの難しさがあるように思います。これだけクリスチャンが減って教会が減ってきている中で、大学の括(くく)りで考えるのはやっぱり無理があるし、お互い学ぶべきものは絶対あると思います。
 その違いを知ることでもう一回、自分の中でもその神学が再構築されることがあると思うので、現場に出る前にもう少し大学単位や同窓会単位だけでなく、柔軟に行き来できないかなと思っています。

 桑島さんが言っていたように、キリスト教と社会、日常の距離を感じることもあります。非日常的な部分って教会やキリスト教的なものの中にあるのは当然だと思うのですが、それが日常と連続性があるものにならない。本当にそれでいいのかなと思うことがあります。
 日曜日と他の日常的な平日がつながっている気がしないんです。信仰的な問いも日常の中にあるはずなのに、極端に言えばそこと乖離(かいり)したことが教会や神学の中で語られていて、そういう連続性が出てくるような言葉や礼拝のあり方ってないかなと思っています。
 キリスト教教育の中で授業を受けている生徒も、これって自分の問題だよねと、キリスト教がずっと問い続けた問題が自分の問題として問える瞬間って出てくると思うんです。そういう工夫ができないかなと今は思っています。

――ありがとうございました。

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