【宗教リテラシー向上委員会】 ヒエロファニーとしての「ポケモンGO」 川島堅二 2017年11月21日

 「ポケモンGO」にハマっている。昨年の夏、好奇心で始めたのだが、スマホの画面越しとはいえ、わが家に小さなモンスターが現れた瞬間のシュールさは、わたしにとってちょっとしたヒエロファニー(聖なるものの現れ)だった。以来、通勤時や週末の午後などスマホ片手にモンスターを追いながら、このゲームの魅力について考え続けている。

 神学者の小原克博氏(同志社大学教授)は、「ポケモンGO」には少年期の昆虫採集に通じる魅力があるという。確かに今の50代、60代は少年時代に虫取り網を手にトンボやバッタを追って野山を駆け回った世代である。わたしも休日に父と行ったバッタ取りの思い出がある。小さな捕まえやすいのもいれば、レアで捕獲が難しいのもいて、後者を捕まえた時には何とも言えない充足感を味わったものだ。

 少し前のことだが、ツイッターで知り合った仲間たちと車に同乗してモンスターを追いかけていた時のこと、「アンノーン」という文字通り「未知」(unknown)の超レアなポケモンに遭遇した。ただその居場所が住宅街の少し入り組んだ路地、車では難しかろうということで、留守番をひとり車に残して現場へ仲間たちと走った。専用のアプリを使うとモンスター消滅までの時間も分かるのだが 数分しかない。全力で走り現場へ急行、そこにはすでに5、6人の中年ハンターたち、中にはタクシーで乗りつけている人も。「とれましたか!?」「とれました!!」「おめでとうございます!!」と見知らぬ者同士声をかけあってニンマリ。確かにこれは少年時代、昆虫採取で味わった感動だ。こうした郷愁を胸に黙々とポケモンを追う中高年の一群がこのゲームの愛好者の一方の極だ。

 ゲームを先へ進めようとすれば歩かねばならないところも、この年代に受けている大きな理由だと思う。 日曜日の礼拝後、電車で30分以上かかる教会から自宅まで徒歩で帰るなど以前は考えたこともなかったが、このゲームを始めて以来およそ4時間かけて何度も徒歩帰宅。道中には上野不忍池、東大の三四郎池、飛鳥山公園など穴場がたくさんあるのだ。歩いた距離はアプリに記録される。昨夏から現在までその距離すでに2000㌔、直線距離で北海道の知床岬から種子島宇宙センターの距離に匹敵。これは健康にもいい! 他方の極には20代の若者たちからなる熱烈な一群がいる。少年期、昆虫採取は経由せずに直接ポケモンに夢中になり、そのまま卒業することなく成人した彼らは自らを「ガチ勢」と呼ぶ。単にレアなモンスターというだけでは飽き足らず、さらに個体値の高いもの、日本では捕れないものを捕獲するために海外へも出向くフリークたちだ。

 さて、冒頭でポケモンの出現を「ヒエロファニー」と表現したが、このゲームの持つ宗教性は久しい以前から指摘されていた。宗教学者中沢新 一氏の『ポケットの中の野生』(岩波書店)の出版は1997年、20年も前である。「ポケモンは反イスラム」との宗教令がサウジで出されたのが2001 年。昨年「ポケモンGO」が海外でリリースされてからは、ユダヤ教の一部団体もコメントを出している。

 また日本では、ポケストップといわれるゲームアイテムが入手できる場所やポケモンを戦わせるジムが多数の教会を含む宗教施設に置かれたこともあり、当初関係者の間でもさまざまな意見交換がツイッター上でなされた。それらは実にそれぞれの宗教の個性を表していて比較宗教学的にもたいへん興味深い。(次回につづく)

川島堅二(農村伝道神学校教師)
 かわしま・けんじ 1958年、東京生まれ。東神大大学院、東京大学 大学院、ドイツ・キール大学留学。博士(文学)。駒場エデン教会副 牧師、相模原南教会牧師、恵泉女学園大学教授・学長・法人理事等を 歴任。本年4月より農村伝道神学校教師。専門は宗教哲学、組織神学。 最近の研究関心は、宗教多元主義、複数宗教経験、トランスリリジャ スライフの実践。

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