【宗教リテラシー向上委員会】 「マインドフルネス」はうつに効く? 池口龍法 2017年12月1日

 例えば、ストレスが溜まってうつに陥った時、心療内科に行けば「デパス」などの抗不安薬を処方されるだろう。薬を飲めば心は和らぐから、しばらくの間、うつは緩和される。しかし、ストレスを溜めない心を作らない限り、本質的な解決にはならない。

 心にメスを入れるのは、西洋医学よりも仏教の得意分野である。仏教では、うつ状態のことを「惛沈」(こんじん)という。逆に、躁状態のことを「掉挙」(じょうこ)という。どちらも修行の妨げになるので、治さなければいけない。うつ状態の時には、「毘鉢舎那」(びぱしゃな)という真理を観察する瞑想を行う。躁状態なら「奢摩他」(しゃまた)という呼吸を調えて心を静める瞑想を行う。

 しかし、当の本人にしてみれば、これらの難解な専門用語を理解して瞑想に励むよりも、まずは「デパス」を服用した方が心に効く。要するに、瞑想には熟達が必要であり、即効性に関しては「デパス」に遠く及ばない。身体の治療に長けた西洋医学と、心を調える仏教が、うまく手を取り合えれば、心身の健康に大きく寄与するはずなのだが、物質と心を分けて考える西洋医学は、心身一如を説く仏教と肌合いが悪かった。この風景を一変させたのが、最近話題になっている「マインドフルネス」という仏教革新運動である。

 「マインドフルネス」の瞑想会に行くと、よく「レーズン・エクササイズ」が行われる。これはただ集中してレーズンを食べるだけの簡単な実践である。読者の皆さんも試してみてほしい。レーズンでなくてもよいので、手元にある食べ物を少量手に取り、その触り心地を楽しむ。口に入れたら、噛むごとに味わいが口の中に広がっていくのを感じる。食べ物を単にカロリー摂取のために食べるのではなく、「わたしたちは命をいただいて生きている」という実感を味わう。そうすると、わたしたちはほっと一息ついて心は自然と和らぐ。「マインドフルネス」はこの感覚を基調にしている。

 「マインドフルネス」を提唱したのは、ベトナム出身の禅僧ティク・ナット・ハン師であるが、医学と仏教を架橋したのは、ジョン・カバットジン博士である。博士は、1979年にマサチューセッツ大学医学部の中に、「マインドフルネス」に基づくストレス低減プログラムを実施するセンターを開設した。

 その後、多くの研究者が検証を重ねた結果、「マインドフルネス」がうつの再発予防に効果があると実証され、いまでは広く心理療法の分野に浸透している。アメリカではグーグルをはじめ多くの企業が、ストレス軽減効果を期待して社員研修のプログラムに取り入れている。

 非科学的なものの象徴であった仏教の瞑想が、一転して科学的だと認められたおかげで、多様な現場での応用が可能になり、スポットライトを浴びた。これは大きな一歩だろう。わたし自身の経験からしてみても、お参りの方々に「仏教はうつに効きます」と伝えるとたいへん喜ばれる。しかし、そのたびにもどかしさが拭えない。

 西洋医学の治療によって身体を健全に保ち、瞑想によって心を完璧に整え、いわば心身をドーピングして強く生きていけたなら、宗教の役割は果たされたことになるのだろうか。むしろ、逆ではないか。宗教がわたしたちに突きつけるのは、人間の弱さである。アダムとイブは神に戒められても禁断の果実を食べた。釈迦の示したさとりへの道をうまく歩めないがゆえに、阿弥陀仏の救済がいつまでも求められる。

 わたしたちはどこまでも弱い。力強く生きていこうとするのを諦め、弱さを認め合おうとした時に広がる地平こそ、宗教的世界なのである。

池口龍法(浄土宗龍岸寺住職)
 いけぐち・りゅうほう 1980年、兵庫県生まれ。京都大学大学院中退後、知恩院に奉職。2009年に超宗派の若手僧侶を中心に「フリースタイルな僧侶たち」を発足させ代表に就任、フリーマガジンの発行などに取り組む(~15年3月)。著書に『お寺に行こう! 坊主が選んだ「寺」の処方箋』(講談社)/趣味:クラシック音楽

連載一覧ページへ

TO TOP