立大で公開シンポ「宗教の再創造」 宗教の本質と役割を多角的に考察 2017年12月25日

 立教大学異文化コミュニケーション学部(池田伸子学部長)は11月25日、同大池袋キャンパス(東京都豊島区)で公開シンポジウム「宗教の再創造――人間の精神性の根源を考える」を開催し、学生を含む約100人が参加した。同シンポジウムは、現代の宗教に根源的な批判を加え、その本質と役割を考察して、未来への道を模索しようというもの。浜崎桂子氏(同学部教授)のあいさつ、実松克義氏(同大名誉教授、宗教人類学者)による趣旨説明に続き、加藤喜之(東京基督教大学准教授)=写真、平林二郎(大正大学綜合佛教研究所研究員)、小村明子(上智大学アジア文化研究所客員所員)、佐藤壮広(宗教情報センター研究員)、奥野克巳(立教大学異文化コミュニケーション学部教授)の各氏がそれぞれキリスト教、仏教、イスラム、沖縄の民間信仰、ボルネオ島狩猟民の精神性とそれらの起源について発題した。司会は細井尚子氏(同学部教授)が務めた。

 加藤氏はキリスト教が国家の枠組みと共に発展した歴史からその肯定的な側面と問題点を指摘し、小村氏はイスラム史を預言者ムハンマドの時代から法学派の成立まで、実社会における信仰の実践というポイントから説明。平林氏は大乗仏教の成立史を語りつつ、むしろ現代人と共に呻き、その苦しみに寄り添う(karuṇā:悲)葬式仏教の意義を共時的に語った。

 また、佐藤氏は沖縄の「ユタ」がいにしえの神話を受け継ぐだけでなく基地問題を身体化していることを報告。経済や基地、政治と「ユタ」の民俗とは切り分けられないことを浮き彫りにした。奥野氏は狩猟民プナンへのフィールドワークと最新の文化人類学的知見から、そもそも宗教未生の場としての、人間中心ではないカミ、聖霊、動植物、天地、人間の共存世界のありようを語った。

 質疑応答では、宗教の人間中心主義についてシンポジスト相互の意見交換が行われた。実松氏が「個人としての宗教と社会としての宗教とはどのようなつながりがあるのか。人間と神との関係はいかなるものなのか」と問うと、「キリスト教では『神が人になる』こと(受肉)に本質がある」(加藤氏)、「大乗仏教の本質は逆に『人が仏になる』ことである」(平林氏)、「イスラムでは『人は人、神は神』である」(小村氏)とそれぞれ応答。佐藤氏は、「沖縄の伝統では、これらが『自己超越』の体験として溶け合う」と答えた。

 最後に、奥野氏が「そもそも既存の宗教では議論のテーマがすべて人間へ関心が集中し過ぎている」と指摘。加藤氏が「キリスト教にもアントニウスなど、荒れ野で独り修道する歴史もあったとはいえ、社会性や人間性を排除した宗教というものはあり得るのか」と応じると、奥野氏は「狩猟採集民においては動物や自然現象のパーソナリティも人間と同じリアリティをもって受け止められる」とし、宗教とは人間主体のものなのか、自然全体を包摂するものなのかにまで議論は及んだ。

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