【伝道宣隊キョウカイジャー+α】 同性愛者の友となる キョウカイグリーン 2017年12月25日

 「同性愛は罪なのか?」

 本紙の読者でもさまざまな意見があるかもしれない。2017年を終えようとし、今号はイエス・キリストという人類へのプレゼントを祝うクリスマス特集号だが、今年、神さまがわたしたちの教会に送ってくださったプレゼントはLGBTのカップルだった。

 これまでも数年来、ゲイの若者からの電話相談を継続的に受けていたのだが、実際に顔を合わせ続けるLGBTの人たちは初めてだった。近年、LGBTの人権についてはキリスト教界以外からも強い声が上がっていることは言うまでもなく、わたし自身、単純に「同性愛は罪だ」と決めつけて良いのか、という問いがなかったわけでもないが、このたびの彼らとの出会いを通して、神学的にも聖書学的にも問い直すことになった。

 レビ記に「女と寝るように男と寝てはならない」とある。だから罪なのか? じゃあ、キリスト者はレビ記の戒めを全部守るのか? 自分がLGBTの人たちの存在を心地良く思っていないから、その気持ちを正当化するために都合の良いレビ記の一文を引用して良いのか、よくよく考える必要がある。

 パウロが神の国を受け継ぐことができない者のリストに、「男色をする者」とある。しかし、この単語は経済に関して使われるギリシア語であり、男性をお金で性的に搾取する意味であるから、同性愛そのものを否定していると言って良いのかを問う必要がある。同様にパウロのリストにある「男娼」も「自制力の欠落した者」と訳す方が適切らしい(山口里子著『虹はわたしたちの間に――性と生の正義に向けて』より)。

 その他にも、同性愛を罪としてきた根拠となる聖書箇所はあるがすべてについて書く紙幅はないので、前述の本も含め、調べていただければと願う。

 キリスト教会が、「同性愛は罪」と語ってきたのは否めないのだが、それを知っているはずの前述のカップルが日曜の礼拝ばかりでなく水曜の祈祷会にも通い続け、真剣に説教を聴き、教会で奉仕しようとする姿に驚かされ続けた1年でもあった。

 彼らが関わり続けているLGBTのコミュニティの中で対立があり、両者ともに自分たちが正しいと譲らなかったそうだ。そんな中で、正しいのは神だけで、人は皆、間違いも犯す者であり、人が振りかざす正義こそがかえって溝を深めるという話を教会で聴き、そのことを受け止めながら、2人はコミュニティ内の和解に取り組んでいっていた。

 キリスト者が正義を振りかざすことは、LGBTというマイノリティを排除する暴力にもなり得る。正義は神のものだ。人が生半可な思いで正義を振りかざすと、暴力を生むことになりかねない。

 キリストは「お前ら人類は罪人だ」と言って切り捨てることはなかった。そうではなく、罪深い人類の真っ只中に、人となってお生まれになり、友になろうとしてくださった。だから、人となって人と向き合ったキリストのように、同性愛も含めLGBTの人たちと友になりたいのだ。

 相手と接点を持とうともせず、聖書(の一部を引用した自己都合)を振りかざして切り捨てるよりも、相手の身になり、相手の友になる。それこそが「クリスマスおめでとう!」とキリストの降誕を祝う姿だと思えてならない。

キョウカイグリーン
 緑方定助(みどりかた・じ ょうすけ)地域のパパ友・ ママ友との交流が広く、日々育児日記をつづってい る育児系ブロガー牧師。何よりも 愛する家族を最優先し、困ったら一目散に逃げる。息子・承太郎といつも一緒。 武器:共感イヤー/必殺技:宣言アタック/弱点: 妻

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