【映画評】 『聖杯たちの騎士』 「天路歴程」を引用したモノローグ 闇と汚濁はそのままで光と愛の似姿 2017年12月25日

 非常な寡作で知られる名匠テレンス・マリックの新作が公開される。描かれるのはハリウッドでの享楽的な日々に疑いを覚える、一人の売れっ子脚本家がたどる魂の道行きだ。

 心に空虚を抱える脚本家は、6人の女性たちから導かれるように内なる歩みを進める。クリスチャン・ベールがこの脚本家を演じ、ケイト・ブランシェットやナタリー・ポートマンら6人の女性が脇を固める贅沢な仕立て。しかもカルト的なテレンス・マリック熱は、20年の沈黙を破った『シン・レッド・ライン』以降の同監督作に著名な俳優達が驚くほど数多く篤志的に端役出演するブームを生み、本作もその例外に当たらない。加えて6人の女性との交際を綴るストーリーラインやタロットカードを採用した章立てから、クリスマス公開の本作をロマンティックなデートムービーと断じる評価は恐らく多数を占めるだろう。

 しかし、この映画の本質はまったくそこにない。このことをまず明かすのは全編に付されたナレーションの存在で、その大半は脚本家のモノローグ(独言)であり、随所に脚本家の父親によるモノローグも挿入される。そして実はこれらの多くが、破滅の町に住む〝基督者〟の旅路を綴るバニヤン『天路歴程』からの引用朗読により構成されている。

 ここからは成功した脚本家の享楽もテレンス・マリック自身を思わせる女性遍歴も、表層の水準ではそのすべてが「眠る世界」の出来事に過ぎないとの示唆が読み取れる。そこで暮らす主人公はある朝突如の地震により、眠りの日々から揺り起こされる。ベランダへ逃れると上階から植木鉢が落ちてくる。屋外ヘ出れば地中の水道管は破裂し近所の飼い犬が狂ったように咆哮している。

 「騎士たる彼は、父である東の国の王の命令で西のエジプトへ旅立った。真珠を探すために。だが、たどり着いた王子は杯に酒を注がれ、すべてを忘れた。自分が王子であることも、真珠のことも忘れ、深い眠りに落ちた」

 その一方で兄弟の自死により、脚本家の家庭は崩壊している。しかしこの崩壊により、脚本家とその父は深い内省へと至る機縁を得る。映像を舐める言葉の連なりは、やがて登場人物の人格を離れた抽象性を帯び始める。

 監督テレンス・マリックは哲学を専攻しハーバードを首席で卒業、オックスフォード大学院を経てMITにて教鞭を執るという哲学者の側面をもつ。その彼が、こうした抽象性の視覚化に際して呼び寄せたのが撮影監督エマニュエル・ルベツキだ。ルベツキは2013年『ゼロ・グラビティ』、14年『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』、15年『レヴェナント: 蘇えりし者』と、ジャンルのまるで異なる三作により史上初3年連続となるアカデミー撮影賞を獲得した鬼才だ。

 本作において複数者のモノローグはいつまでもダイアログを形成せず、終盤では父からの呼びかけを最後に黙してしまう。世にあふれる闇と汚濁はそのままで光と愛の似姿でもあり得るというテレンス・マリックの近作群に通底するテーマはそれゆえに、本作においては言葉によらず知によらず、むしろ虹色に照り返す真珠の珠のごとくただ光の連続に委ねられ表現される。この挑戦と軽やかな達成こそが、本作の真髄となる。(ライター 藤本徹)

©2014 Dogwood Pictures, LLC

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