【宗教リテラシー向上委員会】 宗教の家に生まれた子の話 ナセル永野 2018年2月11日

 昨年12月に発売された漫画『よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話』(講談社)。宗教勧誘に来る某宗教団体に所属する母と娘(著者)の生活を描いたノンフィクションであり、同じ宗教以外の人間はサタン(悪魔)だから友だちになることを禁止されたり、教育と称して鞭打ちされたりした経験などが辛辣に描かれた作品だ。そして時を同じくしてイスラムコミュニティーからも同様の問いかけがあったことを、皆さんはご存じだろうか?

 話題となったのは、外国人ムスリムの父と日本人の母を持つ男性スオミアッキさんが幼少期から抱えていた宗教・家族・学校の問題を綴った「日本でイスラム教の子供に生まれてしまった僕の話」と題するツイートである。2万近くリツートされ、イスラムコミュニティーを中心に大きな話題となった。今回はスオミアッキさんへのインタビュー、ツイートから宗教と子どもの教育について考えてみたい。

 スオミアッキさんは幼少期より「テロリストの子ども」と呼ばれ友だちができず、学生時代も不登校気味の生活を送ったという。父親はスオミアッキさんの「日本で普通に暮らしたい」という思いを頑なに否定し続けた。「イスラム教徒の息子は、より厳格なイスラム教徒であるべきだ」――それが父親の信念だったという。反抗すれば父親から椅子やバットで殴られることもあったそうだ。

 話題となったツイートも父親との口論がきっかけで書き殴ったものだという。「僕がしたかったのは、日本におけるイスラム教の問題点をツイートしてイスラム教徒の方に改善してほしかった」「別にイスラム教を軽蔑しているわけじゃありません。他人の意思に関係なく宗教を強制する人が嫌いなのです」と一連の出来事に関して語っている。

 コーランに「宗教には強制があってはならない」(2:256)と記載されているように、本来イスラムでは宗教を強制することは禁じられている。しかし、2010年にはイギリスでコーランを暗唱できなかった7歳の息子を母親が殴り殺すという事件が発生している。スオミアッキさんの元にも「わたしも同じ環境でした」という反応が何件も寄せられたという。

 このような事例が後を絶たないのは、核家族化と「宗教の名のもと」や「教育という大義名分」という体の良い目くらましがあることだとわたしは思うのだ。

 宗教や教育は、各家庭の私的空間における出来事で他者の介入を拒む領域である。「家庭のことですから」と言われれば、他人は口出しできない閉ざされた空間だ。そこには「家族愛」が存在する。当然それは良いことであるが問題なのは、閉ざされた家庭内で行われる宗教行為や教育は、行き過ぎると虐待や暴力と紙一重であり、無自覚な当事者はそれを「愛情」と錯覚してしまうことだ。現に先述のイギリスの事件でも担当裁判官は母親を「思いやりがあり、教育熱心」と表現しているという。

 「愛情」――それは尺度が曖昧であるのに他者の批判を弾き飛ばす最強の価値観であり、そして「正義」である。教育が虐待になる境目、愛情と暴力の境目、それはどこなのか。共通する基準がないだけに自分の物差しを疑わなければならない。愛するが故「子どものためを思っての熱心な教育」と「子どもの気持ちを無視した虐待」。いつもどこでボタンをかけ違うのか?

 しかし、わたしは難しく考える必要はなく、常に誰でもできる最もシンプルで確実な測り方があると思う。それは、愛する家族を見て「幸せそうに笑っているかどうか」だけである。なぜなら、宗教とはそもそも幸せになるために信仰するものだから! 今、あなたの最愛の子どもたちは、笑顔でいますか?

ナセル永野(日本人ムスリム)
 なせる・ながの 1984年、千葉県生まれ。大学・大学院とイスラム研究を行い2008年にイスラムへ入信。超宗教コミュニティラジオ「ピカステ」(http : //pika.st)、宗教ワークショップグループ「WORKSHOPAID」(https : //www.facebook.com/workshopaid)などの活動をとおして積極的に宗教間対話を行っている。

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