【教会建築ぶらり旅】 日本基督教団 根津教会■親密の礼拝堂 藤本 徹 2018年3月11日

 根津教会においては、老朽化し、信徒の増加に伴い手狭ともなった礼拝堂への措置として、現実的に二つの方向性が検討された。「全体の取り壊しを経た新築」と「修繕を伴う一部改築」だ。最終的には後者が選択されたが、その意思共有から今ある姿までの道のりは平坦ではなかった。この一部改築へ向けた決定から実現へ至る過程は、根津教会前任牧師・鍋谷憲一編著『文化財礼拝堂再生物語』(日本キリスト教団出版局)に詳しい。

 本連載は教会建築に重心を置くため、ともすれば大正期木造礼拝堂建築の歴史的価値を前提とする論理が先行しがちとなる。しかし同書中の「礼拝堂再生」を巡る議論をみると、現実には文化財として価値ある教会建築が、しばしば教会内部の要請により取り壊される事情もよく分かる。実際、何のための教会か、礼拝堂の目的は何かを突き詰めて考えた時、「古さ」のもつ価値はたやすく後景へと退く。

 例えばプロテスタント信仰の起点となった16世紀、改革派諸教会が既存の聖堂においてまず為したのは、各々に歴史文脈をまとう聖所や聖像、会衆と聖歌隊とを仕切るルードスクリーンなどの撤去であった。カトリック教会においてもイエズス会聖堂建築の系譜では、祭壇と会衆席を隔てる聖歌隊席や壁際通路の排除により、信徒の礼拝典礼への接近が図られた。こう見れば、優先事項を研ぎ澄ませ熟考を重ねた結果、個別の歴史的価値が削ぎ落とされるのもまた歴史展開の一典型とは言える。

 しかし『文化財礼拝堂再生物語』が真に意義深く感じられるのは、にもかかわらず古い礼拝堂を活かす形での再生が模索されたその経過記述ゆえだろう。商社勤務の履歴があり実務的交渉に長けた鍋谷憲一牧師においてさえ、資金計画から施行契約、現場立会や地域との折衝などがいかに困難の連続であったか。

 しかしその道程では、礼拝堂再生へと向かう流れに予期せぬ支援や助力が多方面から注ぎ込み、また少なくない人々にとってこの計画への参与が信仰を一層深める機縁となった。設計に携わった建築士夫妻の受洗をその一例として再生計画そのものが、福音伝道の場という教会建築の本義が体現される場と化した。

金具不使用による耐湿・耐久性をもつ長椅子(製作年代不詳)

 筆者は学生期を上野で過ごしたため、根津には元来なじみがある。根津教会の文化企画へも一度ならず足を運んだ。礼拝堂ゆえ賛美歌をはじめ音楽演奏に適した空間であるのは自然として、不思議なのは映画の上映会から得られる独特の感興だった。

 現代の劇場や映画館の建築構造はキリスト教聖堂の多くと同様、中世欧州を主なルーツとする。が、見世物と観客とを明確に区別する劇場や映画館と異なり、上述の史的経緯からプロテスタント教会の内部空間においては両者が緊密に場を共有する。この親しさが観る映画の質を、かつて巡業テントの内に張られた映写幕へ投影された見世物のはらんだ祝祭性へと近づける。

 独特の感興を催す根津教会の空間性は、元々の礼拝堂と集会所との境界を「再生計画」により取り去ったゆえ実現した一体感に起因するが、一方可動式パーティションの導入により、礼拝時には出席人数に応じ場の集約度すなわち親密度の調整が可能となった。

 形態からの機能の解放は現代建築第一の特徴であり、また個体発生は系統発生を繰り返すとも言う。今日も欧州各地に残るカトリック大聖堂のルードスクリーン上を飾るレリーフの緻密さは、そこに降り積もった時間の結晶だ。

 この時間の延長上に、根津教会の飾り気ないパーティションが成立し、機能すること。そこには再生を成し遂げた根津教会礼拝堂の、空間の親しさへの確かな意思が息づくこと。それはまた、この空間の醸成に携わった人々の味わった労苦と試練の結晶であること。

 震災と空襲とを生き抜いた木造の堂内に座し、木椅子のひんやりとして心地よい硬さを背にそうして想念を巡らせ、黙想する。礼拝堂再生を率先された鍋谷牧師の、安らかなる眠りをお祈りいたします。

藤本 徹
ふじもと・とおる 
埼玉生まれ。東京藝術大学美術学部卒、同大学院 美術研究科中退。公立美術館学芸課勤務などを経て、現在タイ王国バンコク在住。

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