【宗教リテラシー向上委員会】 SFと「死者の復活」 波勢邦生 2018年4月1日

 動画配信サイトNetflixで公開中のSFドラマ『オルタード・カーボン』(リチャード・モーガン原作)は、人類が七つの植民星に居住し、不死が技術的に可能になった300年後の未来を描く。精神はデジタル化され、体内に埋め込まれた「スタック」と呼ばれる装置に再生保存される。精神が「スリーヴ」と呼ばれる別の肉体に転送されることで死は回避され、別惑星に精神を転送することもできる。結果、富める者は、次々とスリーヴを乗り換えることで、数百年に渡る転生を繰り返して経済的社会的地位を独占し、貧しい者は新しいスリーヴを買うこともできず病んだまま死んでいく。

 同作品の世界背景に「ネオ・カトリック教会」が出てくる。彼らは、魂救済派(Spirit-savers)と来世信仰派(After-livers)を中心に「スリーヴィング」に対して猛反発し、どのような理由であれ「死から戻る」者は、その時点で魂が地獄へ行くと断ずる。しかし、警察当局は犯罪被害者本人の証言を採用するために、積極的にスリーヴィングを推奨する。技術が「人間」という問題を解決しない様子が描かれている。

 先端医療とAI技術には大きな可能性がある。当然、問題もある。妄想でしかないが、近い将来に医療福祉分野で、人間の労働者と交換可能なAIが登場したとしよう。例えば、そのAIに聖書とキリスト教に関するあらゆるデータをインストールすれば、人間の牧師よりも善良な牧師になるのではないか。神父による司式にこそ効力があるとするサクラメントも、その神父の身体が脳を残すほかは機械化されている場合、その司式は有効となるのか否か。

 現在、教会でマイクを使って肉声を増幅することについて、誰も疑わない。ならば、なぜ身体の一部だけを残し、あとは機械化された司祭について問題があるだろうか。肉体がなくても、精神が宿っていれば構わないのではないか。

 21世紀において「死者の復活」を考えることは「技術と人間」の関係を問うことである。「人間とは何か」という難題に直面することなのだ。2001年、ハイデルベルクで開催された国際学術フォーラムでは、神学、哲学、聖書学、考古学、物理学、生物学、神経科学など多様な領域の研究者が集まり「死者の復活」を論じた。成果報告として、『死者の復活――神学的・科学的論考集』(日本キリスト教団出版局)がある。

 同書において、コンピューター科学者ノリーン・ヘルツフェルド氏(ミネソタ州セントジョンズ大学)は、「サイバネティックス的不死vsキリスト教的復活」と題して、先端医療とAI技術、すなわちコンピューターがもたらす不死の可能性と、伝統的なキリスト教の「永遠のいのち」理解や「復活」概念を、ラインホルド・ニーバーを参照に比較検討している。端的に言えば技術のもたらす「永遠の生命」や「転生」は、あくまで天地が終わるまでの身体的延長であって、キリスト教の「復活」とは質が違うということである。

 「キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です」(コリントの信徒への手紙一15:14)とある。キリスト教にとって「死者の復活」は、信仰の根幹だ。キリスト教が立ちも倒れもする決定的な問題が「復活」である。しかし、医療生命倫理とAIとネットワーク技術の発達した現代、その意味が持つ広がりは、多くの難題に直結している。

 新年度も始まり、復活祭の季節となった。西方教会では4月1日、東方教会では4月8日が復活祭当日となる。イースターエッグを眺めながら、十字架と「死者の復活」について考えている。あなたは復活祭に何を祈るだろうか。

波勢邦生(「キリスト新聞」関西分室研究員)
 はせ・くにお 
1979年、岡山県生まれ。京都大学大学院文学研究科 キリスト教学専修在籍。研究テーマ「賀川豊彦の終末論」。趣味:ネ ット、宗教観察、読書。

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