【イースター特別対談】 『愛と狂瀾のメリークリスマス』著者・堀井憲一郎×牧師・青木保憲 教会は受け入れてもらえる努力を 2018年4月1日

 昨秋、講談社から出版された『愛と狂瀾のメリークリスマス――なぜ異教徒の祭典が日本化したのか』。クリスマスのドンチャン騒ぎは日本独特の文化だとして、書物や新聞、雑誌などの記録をもとにその歴史を丁寧に追った異色作だ。そんな「キリスト欠席のクリスマス」を容認する著者の堀井憲一郎氏に、牧師の青木保憲氏が対談を申し込んだ。

クリスマスは恋人たちのもの?

青木 『愛と狂瀾のメリークリスマス』を拝読しました。目から鱗でしたね。

堀井 え、どの辺りが? 今回のお話をいただいた時、とうとうキリスト教界からお叱りを受けるのではないかと思って、内心ビクビクしていたんですよ(笑)。

青木 いえいえ、そんなことはまったく思いませんでしたね。本当にキリスト教を真面目に捉えてくださって、わたしたちの方こそ、もっと襟を正して、クリスマスなりイースターなり、日々の信仰生活も送らなければいけないなと感じました。

堀井 この本は、主に1960年代、70年代、いわゆる昭和の時代から、80年、90年、昭和から平成へと移り変わった時のクリスマスの様子を僕なりに調べて追っていったものです。ファミリークリスマスが盛んだった時代から、いつの間にか恋人たちのクリスマスへと移り変わっていった。その時、ちょうどわたしも若者でしたが、なんか違和感を持ったのです。「クリスマスって恋人たちのものなの? 違うだろう」と。ここが原点なのですが、どうせ調べるならと、室町時代から追ってみたのです。

青木 わたしは教会生まれ教会育ちで、生まれた時から教会のクリスマスしか知らなかった。でも、1980年代、90年代のトレンディードラマが流行り出すころ、いわゆる「恋人たちのクリスマス」が世間で大ウケしているのを見て、衝撃を受けましたね。

堀井 クリスチャンの方って、クリスマスイブとかクリスマスの日に、彼氏とか彼女と出かけたりするんですか(笑)。

青木 実は、深刻な問題なんですよ(笑)。クリスマスイブって、だいたい夜に礼拝がありますから。彼氏、彼女ができた人ほど、「いや、ちょっとその日は……」と言いたくなるんです。もっとも今は言える風潮がありますが、わたしが学生だったころは、とてもじゃないけど、そんなことを言える雰囲気はなかった。では、そういう若者はどうしたかというと、23日に祝うとかして、なんとか妥協策を見つけるわけです。それでも、そうしたことが理由で教会を離れた若者もいましたね。

キリスト教を受け入れていない

青木 僕は平日は学校にも行っていたので、キリスト教以外の感覚も身に着けていました。幼いなりに感じていたのは、教会の内外で違う世界のようだけど、唯一、教会が社会に溶け込む日がクリスマスだなと。

堀井 クリスマスというと、子どものころはプレゼントをもらったりご馳走を食べたりするお楽しみの日だったし、大人になってからも、彼女ができれば、食事をしたり楽しい夜を過ごすというお楽しみの日という印象しかなかったのですが、きっと信者の人にとっては違うんだろうなということは分かってはいました。正直、僕にとってのお楽しみの日は宗教的要素ゼロですからね。

青木 僕が思うのは、キリスト教界は古き良きものに固執しすぎているというか、あまりにも些細なことにこだわりすぎて、教会の内側と外側を分けてしまっているということ。そういう現状を見た時に、乱暴かもしれないけど、この本で堀井さんが書いたように誰かがガツンと言ってくれないと、日本の教会は目が覚めないのかなと。「恋人たちのクリスマス」という風潮に違和感を抱いたというだけであれば、この本の後半の部分だけで十分1冊の本になったと思うのですが、そこをあえてキリスト教の歴史にも踏み込んで丁寧に書いていったのはなぜですか?

堀井 それは、「日本はキリスト教を受け入れていない」という視点に立って考えた時、その理由を考えていった方が、このクリスマスのバカ騒ぎがより顕著になって分かりやすいと思ったからですね。僕は幼稚園がカトリック系で、お祈りしていたとか、聖誕劇に出たという程度しか覚えていません。その時にたぶん聖書の言葉には触れていたと思います。教会自体には、厳かな感じを受けました。

嫌いな理由は侵略者だから?

堀井 僕が「キリスト教が嫌い」と言うのは、まだ好きになる可能性があるから言うわけで、一番つらいのは無関心でしょう。男女の付き合いもそうですが、「あんたなんか嫌い」と言われた方がまだマシで、「あんたなんかどうでもいい」と言われると一番つらいですよね。

青木 キリスト教が嫌いだという最大の理由は何ですか。

堀井 イエズス会士の手紙とフロイスの『日本史』を全部読んだからですね。あの人たちは日本人のことを「この偶像礼拝者たち」みたいな視点でずっと書いているんですよ。「あんたたち、人の家に来て、人の悪口言って、何しに来たの。それがキリスト教か」と。だから今、どんな仮面をかぶっていようと、「本質はそこだろう、侵略者だろう」と思ってしまうのです。キリスト教はこの日本において自然発生的には生まれなかったわけですよ。彼らが入ってきて、キリスト教徒になった日本人やキリシタン大名を使って、領土内にある神社仏閣を壊しますよね。こんなことが続いていたら、日本の文化はとっくに死に絶えていたでしょう。だからある意味、鎖国や禁教令はやむを得なかったと僕は思います。

青木 これは日本のキリスト教界もしっかりと考えるべき視点だと思いますね。

堀井 映画『沈黙-サイレンス-』もそうですが、隠れキリシタンをどこかかわいそうと描く傾向があるじゃないですか。キリスト教ではあれを「受難」と表現する。しかし、そもそも宣教師たちは侵略者なわけですよ。言ってみれば、仏教という宗教を持つ日本にわざわざキリスト教を持ち込んで、侵略をしようとしていた。この国の宗教戦争のようなものじゃないですか。軍隊は率いていないにしても。そうして居座っていた彼らに対して、国を守るために捕まえたわけですよ。それはどうなんだろうねとも思いますよ。

青木 嫌いとおっしゃる割には、キリスト教のことをよくご存じですね(笑)。

堀井 日本を侵略しようとした勢力を考えると、キリスト教は熱心に布教をしていたし、今もしている。彼らはいったい何だろうと思って調べるのです。

*全文は紙面で。

堀井憲一郎 ほりい・けんいちろう 1958年京都生まれ。早稲田大学卒。高校では落語研究会、大学では漫画研究会に所属。調査して書くというスタイルで大ブレーク。テレビ・ラジオにも活躍の場を広げる。著書に『若者殺しの時代』『落語論』『いつだって大変な時代』(以上、講談社現代新書)、『東京ディズニーリゾート便利帖』(新潮社)、『ねじれの国、日本』(新潮新書)、『いますぐ書け、の文章法』(ちくま新書)など。

青木保憲 あおき・やすのり 愛知県生まれ。愛知教育大大学院、京都大学大学院、同志社大学院博士課程卒。教育学修士、神学博士。映画とキリスト教をこよなく愛する。著書に『アメリカ福音派の歴史』(明石書店)がある。Japan Association for Gospels代表。https://m.facebook.com/jag.since2016

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