【宗教リテラシー向上委員会】 ハードル下げつつ重厚な宗教の現場にも 池口龍法 2018年4月21日

 春の祭りといえばキリスト教徒にとっては復活祭だろうが、仏教徒が祝うのは釈迦の誕生である。釈迦が誕生したのは4月8日であり、生誕祭を花祭りという。後世の言い伝えによれば、釈迦は生まれてすぐに7歩歩いて右手を上にかざし、左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と語ったとされる。この伝説をかたどった「誕生仏」の彫像を本堂の中央に安置し、甘露の雨に見たてた甘茶を釈迦
の頭にそそぐのが、花祭りの習わしである。

 さて、去年の花祭りの日のことである。この吉日に龍岸寺では、晋山式というわたしの住職就任を祝う大法要が営まれた。晋山式では、新たに住職として迎えられる僧侶一行が、正装してお寺まで練り歩き、「広開浄土門」という住職の発声と共に山門がおもむろに開いて境内へと入っていく。もちろん、読経の法力で山門が開くわけはないから、片隅にスタッフが潜んでタイミングをうかがうのだが、龍岸寺でその役割を担ったのは、この連載を一緒に執筆している波勢邦生さんだった。

 ネット社会の発達に伴って、趣味関心の近しい人がつながれるようになった影響などを受けて、近年の宗教界では、宗派や宗教の垣根を超えてリベラルに活動するのが流行っている。お寺でカフェやバーを開いたりヨガ教室をやったりするのも珍しくなくなった。もはや何でもありである。そうであれば、大法要の象徴的瞬間をキリスト教徒が担ってもよさそうなものだが、意外と〝本丸〟の守りは固く、晋山式などは自宗派のスタイルで無難に済ませる。しかし、僧侶と檀信徒だけのクローズドな空間で粛々と儀式を行いつつ、「これからは開かれたお寺を」などと高らかに語っても空虚に響くのみだろう。

 龍岸寺の晋山式は、その骨格こそ自宗派(つまり浄土宗)のスタイルに依拠したが、開門式だけでなく、日ごろお世話になっている人に随所で協力してもらった。僧侶一行の先導役をつとめたのは、『仏教思想のゼロポイント』(新潮社)著者の魚川祐司さんと、日蓮宗僧侶でグラフィックデザイナーの梅本龍青さんだった。夜には浄土系アイドル「てら*ぱるむす」の花祭りライブが開かれた。わたしとしてはお寺の未来が感じられる幸せな1日だったが、快く思わなかったご歴々の声も後で聞
いた。

 伝統を重んじる宗教界では、若い世代が新しい試みにチャレンジしようとすると、やっきになって異端視することがよくある。日本的な〝出る杭を打つ〟文化の象徴である。ただし、時おり感動するほど叱られることもある。老齢まで宗教ひとすじに〝人生かくあるべし〟と生きてきた人から、ものすごい剣幕で説教される時である。この魂の重みをいかに真摯に受け止め、未来へと伝えていくかという問いかけが、かえって批判をおそれずに革新を徹底していくわたしの原動力になっている。

 足元の情勢を見れば、時代のニーズに対応するために、お寺や教会がカフェやバーのみならず、ますます多様なサービスを展開していくだろうことは間違いない。しかし、どれほどにぎわって経営が成り立っても、内容が空疎であれば宗教の存続する意味がない。世俗社会の薄っぺらさを厭(いと)うからこそ、人々はお寺や教会を訪ねる。その気持ちを汲み取るならば、単にハードルを下げるだけで満足してはならない。

 晋山式のような大法要をはじめ、重厚な宗教の現場にも人々が関われるように努めてこそ、伝統を受け継ぐ宗教者の責務が果たされる。わたしはそのように自戒の念を持ち、先達の背中を追いかけ続けている。

池口龍法(浄土宗龍岸寺住職)
 いけぐち・りゅうほう 1980年、兵庫県生まれ。京都大学大学院中退後、知恩院に奉職。2009年に超宗派の若手僧侶を中心に「フリースタイルな僧侶たち」を発足させ代表に就任、フリーマガジンの発行などに取り組む(~15年3月)。著書に『お寺に行こう! 坊主が選んだ「寺」の処方箋』(講談社)/趣味:クラシック音楽

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