【教会建築ぶらり旅】 明治学院礼拝堂(白金チャペル)■変化と継承 藤本 徹 2018年4月21日

 風景の高層化に近年一層の拍車がかかる品川駅から、高輪台へと続く道を数分かけて登りきる。すると駅前の喧騒が嘘のように閑静な住宅街へ歩み入る。高輪台から白金台へ連なるこの住宅街を形成する台地のただなかに、明治学院礼拝堂は大樹に囲まれ静かに佇(たたず)んでいる。

 竣工は1916(大正5)年。設計は大正・昭和前期を代表する建築家であり、近江兄弟社創立の実業家としても著名なウィリアム・メレル・ヴォーリズ。明治学院の礼拝堂としては、前身に1903(明治36)年創建のミラー記念礼拝堂があったが地震により大破、代用された講堂も大正初期に焼失したため本礼拝堂が計画された。

 そしてこのミラー記念礼拝堂の教訓を活かし、土台のより堅固な地点が選び直され入念な基礎工事が施された結果、関東大震災の惨劇を現礼拝堂は生き延び、今日残存する貴重な大正期教会建築の一つとなった。

 堂内は屋根の小屋組が露出するオープン・ルーフ様式が採られ、梁材が斜めに連続して錯綜するシザース・トラス構造のダイナミックな空間を演出する。2000年代には保存修理と耐震強化を目的とした大規模改修の過程で、世界でも4台目となる、18世紀の音色を奏でるパイプオルガンが主廊上部後方に導入された。こうして礼拝者が見上げれば、木材のつくる斜線に従い中央上部へ導かれた視線は自ずと梁の網目の奥向こうにパイプオルガンの煌(きら)めきを眼差す流れが醸成された。木造屋根と白壁に輪郭づけられたこの視覚がもたらす荘厳さは、中世の石造ゴシックや近現代の鉄筋コンクリート造の教会では感じ得ない、独特の柔らかな温(ぬく)もりをはらんでいる。

 2000年代以前にも、現礼拝堂には幾度かの大規模改修が重ねられた。まず関東大震災後に、煉瓦造の壁面を支える外部バットレスが付加される。1931(昭和6)年には収容人数拡充のため袖廊の増築がなされ、平面形状が長方形から十字型へと変化した。また1938(昭和13)年には、政府の意向を受け御真影(天皇の肖像画)の奉安所が主廊東南部に付設された。御真影の焼失を割腹自殺により贖(あがな)うような風潮のもと耐火鉄扉すら具えたこの奉安所が、キリスト教会建築の一部として今日残るケースは類稀だ。

 こうした負の遺産をも含み込む、前時代からの〝継承〟を最重要視する方向性は、その起点で前身のミラー記念礼拝堂の廃材を転用した明治学院礼拝堂の歴史全体に通底する。経済効率から要請される高層化の波に、東京・港区に位置する明治学院大学もまた呑み込まれてすでに久しい。しかし容積率を優先させ、無個性な建物をただ均質に並べる都心部大学の多くと異なり、明治学院白金校地では自ら変化をくり返しつつもなおこの礼拝堂が、景観的にも象徴的にも不動の核として機能し続ける。

 〝継承〟に重点化されたこの改修・保存方針の根底に流れるのは、たとえ時代や場所、様式や形態がどれほど隔たろうとも、そこがキリスト教会である限り本質的には普遍の典礼が執り行われるという、教会建築がその内に響かせる原理の通奏低音だと言える。

【Data】明治学院礼拝堂(白金チャペル)
竣工:1916(大正5)年
設計:W.M.ヴォーリズ
施工:田林虎之助
様式:英国ゴシック様式
構造:煉瓦造、上部木造、シザース・トラス
所在地:東京都港区白金台1-2-37

藤本 徹
 ふじもと・とおる 
埼玉生まれ。東京藝術大学美術学部卒、同大学院 美術研究科中退。公立美術館学芸課勤務などを経て、現在タイ王国バンコク在住。

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