【聖書翻訳の最前線】 新約聖書④「キリストの真実」(ローマ3章22節) 2018年6月1日

④「キリストの真実」(ローマ3章22

 この節は従来、以下のように訳されてきました。

すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。[新共同訳] 

 しかし、ピスティス・クリストゥという句は、両義的で、「キリストへの信仰」、あるいは、「キリストの真実」という意味があり、文脈によって訳し分けるべきであることが明らかになってきました。ローマ3章21─26節は、「神の義」がテーマですので、そこでは「キリストの真実」と訳すことにしました。

神の義は、イエス・キリストの真実を通して、信じる者すべてに現されたのです。
[聖書協会共同訳]

 この訳ですと、救いが神の業であり、神がアブラハムへの約束を守る正しい方であることが、浮き彫りになってきます。3章27節以降は、信仰義認が主題となりますので、「信仰」となります。ちなみに、ギリシア語では、従来22節で「与えられる」と訳された箇所には動詞はありません。動詞を補って訳出する場合は、21節の「現される」を補うべきですので、そのように改訂されています。以下に、聖書協会共同訳の3章21─31節を引用しました。

神の義が現された(3章21─26節)

しかし今や、律法を離れて、しかも律法と預言者によって証しされて、神の義が現されました。神の義は、イエス・キリストの真実を通して、信じる者すべてに現されたのです。そこに差別はありません。人は皆、罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、神の恵みによって、キリスト・イエスによる贖いを通して、価(あたい)なしに義とされるからです。神は、イエスを立てて、その真実によって、その血による贖いの座となさいました。それは、これまでに犯されてきた罪を見逃して、ご自身の義を示すためでした。神が忍耐してこられたのは、今この時にご自身の義を示すため、すなわち、ご自身が義となり、またイエスの真実に基づく者を義とするためでした。

信仰による義(3章2731節)

それでは、誇りはどこにあるのでしょうか。それは取り去られました。どんな法則によってですか。行いの法則によってですか。いや、信仰の法則によってです。私たちが考えるには、人は律法の行いなしに、信仰によって義とされるからです。

(『聖書 聖書協会共同訳―特徴と実例』より)

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