【伝道宣隊キョウカイジャー+α】 何を残し、何を伝えるのか キョウカイブルー 2018年6月1日

 教会財政とにらめっこしながら、若者がやってこない、とつぶやいている状況に気づいたならば、それは教会の「精神的健康指数」が危険領域にあるのではないだろうか。

 この場合、若者が「献金してくれる人」であり「将来の教会を、わたしたちに代わって背負ってくれる(わたしの重荷を軽くしてくれる)人」として見なしているからだ。受洗した人、転入会した人を指折り数えて教会財政と組み合わせる発想については、できる限り自重したいと思う。「できる限り」と告白するのは、わたしも恥ずかしながら、誘惑に飲み込まれかねないからである。

 献金総額が減少しているにもかかわらず、日常的な支出は何十年も変わらないという教会が多い。当然、教会の支出は切り詰めて、無駄づかいをしないようにし、献金は大切に扱うという努力をなしたことを前提にはじき出された結果なわけだし、決して教会に悪意があるわけではない。むしろわたしの知り得る限りの教会は、正直で良心に従って誠実に活動している。ただし、鳩のように従順でありすぎる傾向には気になるところもある。

 献金額が下がっているのに日常的な支出が変わらない、ということは、教会の体質が「自分たちの活動を維持するために資源をより大きく使う必要のある構造をもっている」ことを示している。

 考えてみてほしい。教会を取り巻く状況は大きく異なっているのに、教会の活動が臨機応変に対応してきたのかどうかを。いつまでも議論し続ける会議、数多い委員会活動、増殖し続ける資料、前例踏襲を「伝統」と呼んで変化への頑なな抵抗を続けるメンタリティ。これらは改良されてきたのだろうか。

 あるいは執行部は正当性を弁明することに熱意を費やし、執行部批判をする人たちは決議プロセスの一つひとつを検証してほころびを見つけ出そうとすることに熱意を費やす。いくらキリスト教が歴史を書き、記録を残す宗教であるとしても、これらの熱意は果たして本当に必要なものだろうか。相互不信の中で会議の完全逐語録が常に必要とされ、当事者だけでなく第三者にも公にされ、さらにはその記録が歴史の検証に耐えるような質を担保しなければならない、ということが前提で会議が進められることもある。でも、よく考えてみよう。わたしたちは何を残そうとしているのか、あるいは誰に何を伝えようとしているのか、を。

 わたしは、キリストのことを知らない人にキリストを知ってもらうためのチャレンジに時間と労力を費やしたい。

 ある人からこんな言葉を聴いた。「教会って町の古い喫茶店みたいだね。なじみの知り合いばかりで身内話を繰り広げていて、特定の人だけが大きな顔をして店内に居座っている。新規のお客さんのことなんて眼中にまるでない。そんなところに若者が合流したい、なんて思うわけないじゃない」

 教会が残すべきなのは、逐語的議事録ではないし、預金通帳の残高でもないはずだ。若者がささげる献金を喜ぶのではなく、若者が生きていくための希望を一緒に見つけて喜び合えるメンタリティを育てたい。イエス・キリストが挑戦し続けた足跡を現代に翻訳して人々に伝える者こそ、真のキョウカイジャーを名乗れるのではないだろうか。

キョウカイブルー
 青葉良好(あおば・りょうこう)革新的なテクノロジーには目がないインテリ系電脳牧師。クールに見えて実はツンデレ。電子機器を駆使して仕事をどう能率良くできるか、いつも考えている。メンバー内では最年長。武器:最新型タブレット「なんでもできるホン」/必殺技:プチニンノーダー(整理整頓)/弱点:新型ガジェット

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