【宗教リテラシー向上委員会】 イスラム報道の不都合な真実 ナセル永野 2018年6月11日

 まさに激動の1カ月なのかもしれない。

 5月8日、フランスでサルコジ元大統領をはじめとした政治家や俳優、歌手など著名人300人がイスラム指導者に対し、「コーランにある非ムスリムに対する敵対的な章句をすべて無効にしろ」という要求を行った。これに対し、トルコのエルドリアン大統領は「フランスで公正であるかのように振る舞っている悪どい者たちよ(中略)あなたたちはISとまったく違いがない」と激しく非難し対立が深まっている(コーランを改編することは最大の冒涜行為)。

 5月13日には世界最大のムスリム人口を抱えるインドネシアのスマトラで教会が爆破される事件が発生。9歳と12歳の子どもを含む家族4人の犯行であったことに加え、攻撃対象が教会だったこともあり、今後の動向を世界中が注目している。

 さらに、14日にはイスラエルのアメリカ大使館がエルサレムへ移転したことで、パレスチナでは「怒りの日」として大規模なデモが行われた。パレスチナ問題をめぐる国際情勢も急速に緊張感を増している。

 そんな中、今年もラマダンが5月17日から始まった。日本のメディアでは軽視されがちな情報だが、ラマダン前後はイスラム地域での事件が非常に多くなる時期だ。思い返せばISが建国を宣言した2014年6月29日はラマダンの初日であった。その後もISはラマダンを迎えるたびに「欧米社会への攻撃を実行せよ」と繰り返し呼び掛けている。2015年に日本人が犠牲になったバングラデシュでの事件も、まさにラマダン期間中に発生したものだ。過去2年間だけでもラマダン前後で20件以上のテロ事件が発生していることもあり、ラマダン中の現在は外務省のHPにもテロの注意喚起が掲載されている。

 しかし一方で、「テロ」という言葉を安易に使いすぎてはいないだろうか。2006年に公開された『バベル』という映画をご存じだろうか。この映画の一部に「テロ」という言葉の使い方について考えさせられるストーリーがある。

 モロッコで暮らすムスリムの遊牧民の兄弟は羊を狙うジャッカルを退治するためにライフルを持ち歩いていた。ある日、兄弟は射撃の技術を競う遊びを行う中で、遠くを走っていたバスを標的にする。そして、バスをめがけて撃った銃弾は、不運にも米国人の観光客を負傷させてしまう。

 その直後から「米国人を狙ったテロリスト」の捜査が開始されていく。警察は次第に容疑者である兄弟を追いつめ、発見した瞬間、2人に向けて発砲する。

 もちろん、銃で人を負傷させた兄弟の行為は許されることではないが、この場合「テロ」ではない。ストーリーでは、加害者が「ムスリム」であった場合にすぐ「テロ」としてしまう危うさと、「イスラム・ムスリム」に対する潜在的な「恐怖感・疑心感」という現在の日本にも漂っている「暗黙の大前提」を描いているように思う。この「暗黙の大前提」はエドワード・サイードが『イスラム報道』を出版した1981年から30年以上も何の疑いもなく蔓延し続けてしまっている。

 「イスラムについて報道するということは、〈我々〉が何をしているかを曖昧にする一方で、このように欠陥だらけのムスリムやアラブ人とは何者であるかに脚光を当てる一面的な活動なのである」

 『イスラム報道』の原題は『Covering Islam』である。「イスラムを報道することはイスラムを隠蔽することだ」という著者の強烈な皮肉は日本語訳されることはなかった。知らずにかけている偏見のメガネ。まずは、その存在に気がついてほしい。

ナセル永野(日本人ムスリム)
 なせる・ながの 1984年、千葉県生まれ。大学・大学院とイスラム研究を行い2008年にイスラムへ入信。超宗教コミュニティラジオ「ピカステ」(http://pika.st)、宗教ワークショップグループ「WORKSHOPAID」(https://www.facebook.com/workshopaid)などの活動をとおして積極的に宗教間対話を行っている。

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