故・井上洋治神父と文学を学ぶ会 「謎を深めることの大切さ」 2018年6月13日

 今年4月に『井上洋治著作選集』(日本キリスト教団出版局)の刊行が完結したのを記念して「風(プネウマ)の家」(山根道公代表、ノートルダム清心女子大学教授)が、カトリック幼きイエス会ニコラ・バレ(東京都千代田区)で開催してきた連続講座。最終回の6月4日は「小林秀雄とドストエフスキー」と題し、若松英輔氏(批評家=写真右)が昨年12月に上梓した『小林秀雄 美しい花』(文藝春秋)を取り上げた。聞き手として山根氏も登壇した。いずれも故・井上洋治神父が主宰した「風の家」で学んだ経験を持つ。約50人が参加した。

 若松氏は、井上神学を知る上で小林秀雄やドストエフスキーに触れる必要性について「井上神父が福音を日本人の心に届けるため日本人の心情を探っていた時、小林秀雄に行き当たった。ドストエフスキーや東方神学にも関心を寄せていた」と語った。

 「小林秀雄は生涯にわたりドストエフスキー研究をしたが、『「白痴」論』を執筆中に断念し、ゴッホ伝を執筆した。ドストエフスキーを手放し、他者を論じることを通してドストエフスキーを論じた。対象について論じるだけでは、その対象は結局分からない」と解説。

 また、「小林はドストエフスキーを『謎』と語ったが、文学においては謎を持ち、深めることが大切。対象への謎を深めるうちに、人は自分についての謎を深めていく」とし、井上神父の盟友だった遠藤周作も『イエスの生涯』を執筆したことで、「イエスについて謎が深まった」と述べていたことや、井上神父がイエスの福音を伝えようとイエスに近づいたことで、「教会が分からなくなった」と述べていたことを紹介した。

 山根氏は「小林秀雄やドストエフスキーは、言ってみれば窓。わたしたちはその窓を開いて『風』を見るべきで、窓だけを見ていてはいけない。作家ではなく、作家が生み出した登場人物に自分を発見できれば、聖書の人物も自分として読めてくる」と指摘。若松氏も「作家を語るのではなく、彼らの主題を引き受け、自分で論じることが大切」と語った。

 今回の著書を若松氏は「評伝」と紹介。対象の人物像を決めてかかっている人には評伝は書けないとし、井上神父にもっと早くイエス伝を書いて欲しかったと語った。

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