【映画評】 『祝福~オラとニコデムの家~』 物語としての信仰と、家族というフィクションと 2018年6月27日

 加速する社会変化のもと、家族の形をめぐる話題や事件は常に人々の関心事だ。今年5月には是枝裕和監督のカンヌ映画祭最高賞獲得が世間の耳目を集めたが、その受賞作タイトルは『万引き家族』、まさに家族の問題を写し鏡として今日の日本社会が抱える困難を射抜く作品だった。

 自閉症の弟を初聖体式に送りだす過程を通じて、14歳の少女オラが家族の絆をとり戻そうと奮闘する。映画『祝福~オラとニコデムの家~』は、ポーランドに暮らすある家族に焦点を当てたドキュメンタリー良作だ。共産圏の崩壊から四半世紀を経た東欧における家族とカトリック信仰の現在を、一人の少女の眼を通して本作は鮮明に映し出す。

 一人での着替えに苦闘する弟ニコデムのそばで、姉オラがニコデムの登校の準備を手伝う。こうして始まる本作は、続いて教室の様子を捉える。教師に従い、生徒達は手を合わせカトリックの祈りを唱える。「父と子とみ霊において アーメン」と皆が祈りを終えた瞬間、ニコデムは奇声を発する。他の生徒達が無反応であることから、それがこのクラスでの日常だとわかる。

 国民の大半がカトリックのポーランドでは、子どもは普通7~8歳で初聖体を迎える。いわば七五三参りのような風習で信仰心の多寡はあまり関与しないが、神父による口頭試問を要する点が、自閉症をもつニコデムには高いハードルとなる。しかし彼は彼なりに周囲の少年と「同じ」でありたいため、オラによるスパルタとも言える訓練に応えていく。

 少女オラは弟の初聖体式を、別居中の両親を結びつける好機と期する。家庭内でのオラは、子ども時代をすでに諦めたかのように大人びている。酒呑みの父や、神経質で頼りなげな母に比べると、オラの甲斐甲斐しさは切ないほどに際立って映る。家の外では年相応に友人とじゃれ合いダンスに興じる彼女が、家の中では家族全体の保護者のように振る舞うことを余儀なくされる。

 しかしこうした描写を経た後の、家族全員が揃った聖体拝領の席でのオラの笑顔はひときわ輝いて見える。それは家族という物語の綻びを自分なりに繕い得た瞬間ゆえだが、同時に家族という形式のフィクション性に、ドキュメンタリーの形式をとる本作が肉迫した瞬間でもある。

 初聖体式を控えた教会での告解のリハーサル時、聖堂内のマイクから「我は半神なり」の語を響かせ美徳と罪についてつぶやくニコデムの存在は、この映画作品にとってのみでなく、家族や彼を包み込むコミュニティにとっても特異だが不可欠の位置を占めていることがうかがえる。今日では病理にカテゴライズされ疎外されるだけの精神病患者も、時代と場所が変わればある種神的な異能者の役割を担う存在であったことが想い起こされる。

 本作では、宗教教育の現場が幾度も登場する点も興味深い。宗教が禁じられた共産主義の現代史を間近にもつ土地だけに、教師が聖書の一場面を諳んじつつ、ギターを片手に生徒達と「マグダレナはチャチャチャ」と歌う姿は新鮮だ。こうした宗教教育の場の明るさやニコデムがそこになじんでいる様は、日本ではやや想像しがたい。少数者の社会的包摂の実践に関して、また宗教と公教育の関係を巡ってとても示唆に富む。

 若手の女性監督アンナ・ザメツカは弊紙インタビューにおいて、「わたしもオラと同じアダルトチャイルドだった」と明かした。本作で筆者が殊に感銘を受けたのは、冒頭部と呼応する幕切れが醸す静謐の深さである。それは少女オラの人格的深化そのものの表現だった。対象に密着しつつも、極めて構築的に作品を研ぎ澄ませる監督の技量の確かさがそこには看て取れる。ザメツカ監督にとってデビュー作となる本作は、ヨーロッパ映画賞最優秀ドキュメンタリー賞、山形国際ドキュメンタリー映画祭大賞などに輝き、現在世界の映画祭で称賛を集めている。(ライター 藤本徹)

ユーロスペースほかにて全国ロードショー中。

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