【教界Watch】 青年に寄り添う人がいない 『カトリック教報』2018年6月1062号

■カトリック長崎大司教区『カトリック教報』(2018年6月1062号)

 教会はいつも新しくなる⑥ 「日頃感じていること、伝えたいこと」今田亜希(水主町小教区信徒)

 青年会の存続について会議で発言しても、思い出話などばかりで解決策を出す人は誰もいない。また、青年会の典礼奉仕活動の参加人数減少について、ある神父様に相談したところ、「やめたらいい」と言われた。続けるための相談でそのような答えが返ってくることは残念で悲しい。イエス様の弟子たちはほとんどが青年だったと思う。「物分かりが悪い者たち」とイエス様に嘆かれながらも「時が来た時」には「復活の証人」となり、福音を宣べ伝えた。今の教会の姿と重ね合わせると「あまりのギャップ」に愕然とする。「若者がいなくなったと嘆くばかり」ではなく、「教会内に問題がないか」考え、行動してほしい。

http://www.nagasaki.catholic.jp/cms/newspaper/kyouhou/201806.pdf


【本文より抜粋】

 私は、青年会活動を通して多くの仲間に出会いました。そしてたくさんの神父様との出会いもありました。多くの神父様は、私たちの良い道しるべとなり、助けてくださいました。特にある神父様は、信仰の面から私たちの活動を意味のあるものに導いてくださいました。私たち北地区青年会の活動として2013年から「ミサこん」という交流イベントを行ってきました。婚活と神聖なミサを合わせることに一部の神父様方はよく思っていないようでした。しかしその神父様は、私たちがこのイベントに込めた「出会いを求める」と同時に「一緒に神様を囲んで食事をする」・「ミサに一緒に与る」という意味を理解し、私たちと一緒に考え、この「ミサこん」を作ってくださいました。内容も「ただ遊ぶ」のではなく、「神様を中心にして考え、意味のあるものにすることによって、信仰に触れることができる」と教えてくださいました。

 一方、私は、ある神父様の言動に驚き、言葉を失いました。私たち信徒の模範となり、信仰の道を示してくださる神父様が、本心からと思いたくありませんが、その場にいない青年をバカにする発言をして笑っていました。このことがあってから、神父様のことが怖くなりました。愛に満ちた神父様が怖い存在になると、教会に自分の居場所を求め集う私たちは、足を運びづらくなってしまいます。教会に来ない人に問題があると言って片付けるのではなく、迎える教会内に問題がないかも考えてみてほしいのです。

 ……青年会の活動の中で小教区での典礼奉仕の活動があります。他の教会へお邪魔して典礼奉仕をさせていただいたこともありましたが、主に自分の教会の典礼奉仕をさせてもらっています。最近は活動する青年の数も減り、青年の参加をお願いする呼びかけを行っていますが、相変わらず少ないです。そのことをある神父様に相談したら、どういうわけか「やめたらいい」と言われました。この活動を続けるためにはどうしたらいいかの相談に、「やめたらいい」という答えが返ってきて、驚いてしまいました。

 一緒に悩み、良い方向へ導いてくださるはずの神父様の答えが、このような今までの頑張りを一から否定するものであったということが、とても残念で、悲しかったです。教会にとっては大した悩みではなかったのかもしれません。でも典礼奉仕活動をやめることで、青年と教会のつながりがなくなることがすごく残念だと思いました。そもそもこの活動は、身近な典礼奉仕を通して、小教区共同体の力に青年もなれたらいいなぁと思ったのが始まりでした。誰でも参加しやすい活動に、神父様や信徒の皆さんと一緒に青年会を盛り上げていけたらと日々思っていました。しかし私たちのそのような願いも届いていなかったようです。みんなで築いた青年会の活動でしたが、こういう発言によって、青年会は教会にとって必要なものではないのだと感じました。神父様の発言が、私たち信徒の心に深く残り、傷になっていくことに気づいてほしいのです。

 

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