【宗教リテラシー向上委員会】 カルト被害の現実に直接向き合って 川島堅二 2018年7月1日

 カルト対策のバイブル、スティーヴン・ハッサン著『マインドコントロールの恐怖』(浅見定雄訳、恒友出版)が邦訳されたのは1993年、すでに四半世紀前。出版当時、最大の問題は統一協会だったが、その後、オウム真理教、「摂理」といわゆるカルト宗教が繰り返し社会問題となり「カルト」あるいは「マインドコントロール」という言葉も広く世間に知られるようになった。

 しかし、その理解は必ずしも一様ではなく、カルト対策を進める上で障害になる場合も。特に次のように問題が一般化されてしまう時である。

 「キリスト教も含め、宗教はその発生においてはみなカルト」「一般商品の宣伝や広告もマインドコントロール」

 これは必ずしも間違いではない。国語辞典などでのカルトの定義は「社会的マイノリティーによる熱狂的崇拝」。これであれば確かに「原始キリスト教会もカルトだった」と言えるかもしれない。そうであれば現代社会においては憲法で保障されている信教の自由の範囲内であり、対策など不要ということになる。

 しかし、対策が必要なカルト団体の場合には、このような定義では不十分だ。「組織的な違法行為」というファクターを加えねばならない。この団体に関わると違法行為の被害者あるいは加害者になってしまう。だからこそ対策が必要なのだ。

 「マインドコントロール」についても同じことが言える。これは情報操作によって人の意思決定に、それとは気づかれないように影響を与える技法だが、確かにさまざまな商品のコマーシャルにも使われている。しかし、カルト宗教による「マインドコントロール」はそれとは比較にならないほど悪質なものである。

 例えば強姦致傷罪で懲役10年の実刑判決が下った「摂理」の教祖の場合である。多くの被害は教祖との個人面談の場で発生している。「先生はイエスさまと同じように病気を癒すお力をもっておられる。健康チェックをしていただきましょう」と言われ、教祖の待つ個室に案内される。そこで酷い行為に及ばれても、当初は「ハラスメント」まして「性的暴行」とは認識できない。教祖に下着を脱がされ、恥骨に噛みつかれた女子大生は「自分が性的に純潔であるかどうか、先生はわたしを試されたと思った」と語った。

 教祖との個人面談は、教祖崇拝の信念が揺るがないと幹部信者によって判断された選りすぐりの女性信者だけに許される。したがって「摂理」への献身度において「選ばれし者」というプライドも高い。教祖が「摂理」の教えでは最も重罪とされる情欲を満たす行為をするなどという発想自体が湧かないほどに、意思をコントロールされているのだ。

 カルト問題では、こうした被害の現実に直接向き合うことが決定的に重要だ。オウムに殺された坂本堤弁護士がしていたのはまさにこれだ。「出家」と称し教団施設に入った子女とまったく連絡が取れない家族の不安に向き合い、強引な勧誘や献金を中心にその活動の実態を告発したのだった。

 同時期に多くの学者・文化人がオウムに関心を示したが、その反社会性への認識は甘かった。もし彼らが当時の麻原の言説や教団の発行物に対するのと同じくらい熱心な関心を、脱会者や信者の家族(被害者)に対して示していたらその認識は大きく違っていただろう。

川島堅二(東北学院大学教授)
 かわしま・けんじ 日本基督教団正教師、博士(文学)、専門は宗教哲学、組織神学。オウム真理教による地下鉄サリン事件を契機に、再発防止のために弁護士や学者、心理カウンセラー、宗教者、元信者、被害者家族らにより結成された日本脱カルト協会に草創期より関わり、現在は理事も務める。

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