【伝道宣隊キョウカイジャー+α】 伝道しなくていいじゃない? キョウカイホワイト 2018年7月21日

 他教会の礼拝に出るのが結構好きです。この4月から役員の命を受け(とほほ)、所属教会でほぼ毎週何かしらお役があるので、このところなかなか行けないのですが、夏の間には二つか三つ行ってみようと思っています。普段と違う教会に行くことは、違ったかたちでキリストに出会うことでもあります。結果として、あまり深く考えることなく出席していた礼拝に、思わぬ長所や欠点があることに気づくことが多々あります。自分の教会の礼拝に特に不満がない時こそ、違う教会に行ってみることをおススメします。

 洗礼を受けて間もないころ、とある東京近郊の教会に行ったことがあります。ホームページで「家庭的な雰囲気の教会です」とうたってある通り、受付の段階からあれやこれやと話しかけられ、確かに家庭的といいますか、久しぶりに帰った祖父母の家のような感覚を味わいました。たまたま午後に特別伝道集会がある日だったのでそちらにも出席しましたが、新来会者は小生ひとりだけ。「伝道集会って堂々とうたっておいて……?」とかなり不思議に思ったものです。

 近くの教会の牧師さんが話す講演会でしたが、話の内容もとりたててクリスチャン以外の方に語りかけるというものでもなく、仮に思い切って初めて教会に来た人が聞いたとしても、さっぱりわけが分からないのではないかと思います。午後3時過ぎにようやく解放(?)されましたが、集会の前後にもたくさんの教会員に話しかけられ、初対面の人との会話をさほど苦にしない小生でもかなりくたびれて帰ってきました。

 伝道したいという教会の熱意は伝わってきましたが、この熱意が空回りしているなあというのが素直な印象でした。家庭的な教会に加わるって、別のおうちの夕食にいきなり飛び込むような難しさがありますね。

 この教会と好対照を成すのが、今年の春先に行った教会でした。実家に帰る途中、乗換駅の近くにあるという理由で選んだ教会でしたが、なんと、入ってから帰るまで、一度も誰とも会話がありませんでした。受付では無言で週報を渡され、礼拝堂に入って近くの方に軽く会釈はしたものの静かに礼拝を待ち、終了後は特にどなたかに呼び止められることもありませんでした。結構な数の教会に行っていると思うのですが、ここまで会話がないのはさすがに初めてでした。おかげで予定していたよりも1本早い新幹線に乗れまして、帰りを待っていた両親には喜ばれました。

 先に訪問した教会に比べ、乗換駅近くの教会の方が教会としての熱量は低かったと思います。伝道したい、キリストを信じて生きる喜びを一人でも多くの人に伝えたいという気合いは、ほとんど感じられませんでした。でも、「ああ、礼拝に出たなあ」「心を新たにされたなあ」と感じたのは後者の方でした。前者ではたくさんの方と話して疲れたなあ、という記憶しか残っていません。

 「教会は伝道するものだ」「伝道するから教会なんだ」と言われ続けてきました。小生もそう思います。しかし、熱意の赴くまま、これまでと同じことを自己満足のために繰り返すくらいだったら、後で紹介した教会のように伝道しないってのも一つの選択肢ではないかと思います。そうしてできた時間とエネルギーで、自分たちが楽しむための会を持ったり、あるいは教会員が自分のために使う時間を増やした方がよいと思うのです。そこから、思いもかけないかたちで道が開けることもあるかもしれません。

キョウカイホワイト
 白鳥 剛(しらとり・ごう) 通勤電車内での読書を愛するウンチク系ものしり博士。キョウカイジャー唯一の一般信徒。妻との生活を守るため、職場の理不尽に耐える姿はまさに社畜。武器:理屈/必殺技:おだやかな論破/弱点:ピーマン

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