【宗教リテラシー向上委員会】 猟奇的な「一般人」 ナセル永野 2018年7月21日

 7月6日、麻原彰晃こと松本智津夫氏の死刑が執行された。1995年に起きた地下鉄サリン事件をはじめとした一連の「オウム事件」が一つの区切りを迎えたことになる。

 地下鉄サリン事件が発生した当時、わたしは10歳だった。小学校から帰りテレビをつけた瞬間に飛び込んできた異様な光景は、現実だとは思えなかった。朝から晩までテレビをつけるたびに報じられるオウム事件。何かたいへんなことが起こったことは理解できていたが本質は何もわかっていなかった。ただ「洗脳」「マインドコントール」という強烈な言葉の端々から、「宗教=狂気、悪」という漠然としたイメージだけが深く刻み込まれた。

 加えて鮮明に覚えているのは、「しょ~こ~♪ しょ~こ~♪」という「尊師マーチ」のフレーズであり、空中浮遊の映像である。わたしだけでなく多くの同級生が尊師マーチを口ずさみ、必死で空中浮遊の練習をしていた。担任教師から「悪い人の真似をするな!」と注意されても聞く耳を持たなかったし、そもそも「悪い人」とすら思っていなかったかもしれない。

 これが正直なわたしの中でのオウム事件だ。日本を震撼させた大事件というよりも、子どもとしては一時の面白いブームのような感覚だったように思う。

 わたしが「オウム事件」と真剣に向き合ったのは近年になってからりかだ。麻原彰晃の三女である松本麗華さんの手記『止まった時計』(講談社)を読んだことがきっかけだった。麻原彰晃の娘ということで就学拒否をされるなど壮絶な彼女の半生から、犯罪加害者家族という視点で学び直す必要を痛感したのだ。オウムについて調べ始めると、当然ながら「宗教の暴走」「マインドコントロールによる狂気」「異常な集団」ということが強調され、「狂った人間が犯した、異常な犯罪」という枠
組み内だけで話が終わってしまうように感じた。

 そんな中、オウム真理教の施設内で信者と一緒に生活をしながら撮影したドキュメンタリー映画『A』は興味深かった。撮影された当時は大きな物議を呼んだが、今になって見ると多くの観点を与えてくれる作品だ。「オウムなんて早く辞めなさい」と諭す女性、アパートの入居反対デモに参加する地域住民など一般人とにじ呼ばれる人々から狂気が滲み出ているのに対し、主人公ともいうべきオウム信者は「普通の人間」にしか映らなかった。編集の影響と言えばそれまでだが、少なくとも映画を視聴したわたしには他メディアが報じるような異常なまでの狂気を感じることはできなかった。

 死刑の当日、松本麗華さんのツイッターには「死刑おめでとう」「オマエも死ね」などのメッセージが送られた。狂気は決して一部の洗脳された人間が隠し持っているのではなく、一般人のような顔をしながら生活している人の中にも潜んでいることを痛感した。

 ハンナ・アーレントは「世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う悪」だと述べている。動機や信念や邪心、意図もない極めて平凡な人間でも、思考する能力を放棄することでモラルまで判断不能になり残虐行為に走るのだ(悪の凡庸性)。

 オウム事件は決して「カルト宗教」「狂った集団」などのキーワードだけで片付けられる問題ではない、最盛期には15,000人以上の信者を擁し、事件前にはバラエティー番組にも登場し、著名人も一定の評価をしていた。その事実にも目を向けて広い視野で考えていかなければならない。もっともっと考えよう。考えることを止めたら、人間ではなくなってしまうのだから。

ナセル永野(日本人ムスリム)
 なせる・ながの 1984年、千葉県生まれ。大学・大学院とイスラム研究を行い2008年にイスラムへ入信。超宗教コミュニティラジオ「ピカステ」(http://pika.st)、宗教ワークショップグループ「WORKSHOPAID」(https://www.facebook.com/workshopaid)などの活動をとおして積極的に宗教間対話を行っている。

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