【西日本豪雨災害】 〝泥出しをして終わりではなく…〟「岡キ災」室長・草井琢弘さん(日本同盟基督教団岡山めぐみキリスト教会牧師)インタビュー 2018年9月1日

 西日本全域にわたって甚大な被害をもたらした豪雨災害。9府県で3000人以上が不自由な避難所生活を強いられており、未だ安否の分からない被災者もいる。折からの酷暑で復旧作業も困難を極める中、全国社会福祉協議会によると、すでに13万人超がボランティアに参加しているという。2カ月を経た現地の様子を、「岡山キリスト災害支たくひろ援室」(略称=岡キ災)室長の草井琢弘さん(日本同盟基督教団岡山めぐみキリスト教会牧師)に聞いた。(聞き手 吉岡優介)

――まず、災害の発生から岡キ災の立ち上げ、ボランティアが行えるようになった経緯を教えてい
いただけますか?

 災害が起こったのが7月6~7日だったと思いますが、わたしは「岡山県宣教の集い」の委員長を今年の6月に任命されたばかりでした。そんな中でハンガーゼロ(JIFH)の方が、災害直後の7月10日に岡山に入り、日本聖約キリスト教団の災害支援部に訪ねてこられて、これからの岡山の災害支援をどうするか、という話し合いになりました。その中で、「一教団が支援をするよりも諸教会に呼び掛けた方がよい」ということになり、「岡山宣教の集い」の委員長であるわたしが三役の承認をとり、諸教会に呼びかけました。

 7月13日に会議を開き、約25人の出席教師があり、そこにハンガーゼロ、サマリタンズパース、ワールドビジョンなどの関係者も集ってくださいました。福音派の教会が主でしたが、日本基督教団の岡山教会の先生もいらっしゃいました。そこで、「岡山キリスト災害支援室」を立ち上げるということが決まりました。ベースになる場所を広江聖約キリスト教会に置かせていただくことになり、15日にホームページ(フェイスブック)を作り、ボランティアの募集を始めました。

――実際にボランティアを集めての作業は、どのようなものだったのでしょうか?

 最初はボランティアも思った以上に集まらず、市の社会福祉協議会とのつながりもなかったため、初日はリバーサイドチャーチ岡山教会が高梁市で行っていたゴミ処理の分別作業に参加させていただくことになりました。その後、真備地区のクリスチャンで被災した方々のお宅があり、そこにボランティアを送ったのが岡キ災としてのスタートです。そこからクリスチャンだけでなく、知り合いの方、地域の方々へ口コミで紹介をしていただきました。社協のボランティアで手が届かなかったこともあり、各家庭に広がっていきました。

――行政とのつながりなどは?

 どういう経緯で岡キ災のことを知ったのか分からないのですが、倉敷市から「『真備児童館』をやってくれないか」という要請を直接いただきました。一つのところを市から任されるということはなかなかないことですが、それをしっかりとさせていただくということになりました。初日にその児童館の館長が監視役として来られましたが、岡キ災という組織はまったく知られていないので、「ちゃんとやってくれるのか」という疑いの目で見られました。

 しかし、児童館の天井までかぶった泥水をゴーグルをつけて清掃する様子を見て、「この人たちはここまでやってくれるんだ」と感動されたようです。それからは毎日、「監視」ではなく「感謝」を伝えに来てくれました。わたしも直接お会いして話を聞きましたが、「市が一番早くやりたいのは学校で、児童館は一番後回しになる。そんな中でどうなるか分からなかったけれども、地域の子どもたちに本当に欠かせない場所だったので、岡キ災の人たちがやってくれたことを本当にうれしく思う」と言いながら、災害当時の屋根まで水に浸かった児童館の写真などを見せてくれました。

 岡キ災としては泥出しをして終わりではなく、お祭りやコンサートなどを開いて、子どもたちや地域の方々への励ましとなるような復興支援プロジェクトを考えています。

――活動を開始してから、各地からの支援、ボランティアの集まり方はどうでしたか?

 各団体、教団、また海外から視察団が次々に送られてきました。センターや真備町を見ていただき、持ち帰ってボランティアの募集や支援金の献金をしていただきました。センターを立ち上げてから最初の1週間ぐらいはボランティアの数は5~6人で、活動ができるのか不安だった中、韓国のオンヌリ教会から13人のボランティアの方が送られてきました。視察に来られてからわずか3日目のことでした。驚きです。

 最初は県外と外国のボランティアの方が多く、県内の方は少なかったのですが、ボランティアの数が少なくなった時に県内の教会に呼び掛けると、多くの方が集まってくれました。

――1カ月経って見えてきた課題は?

 今まで岡キ災の運営をハンガーゼロに頼ってきましたが、8月までを区切りとしています。その働きを担うスタッフを見つけ、センターが動いていくように引き継ぎをすることが当面の課題です。

 岡キ災は発足当時、まず3カ月の活動目標を立てました。9月14日の全体会議で、活動を終えるのか、その先を見通すのかの話し合いを持ちます。ただ、泥出しなどの具体的な作業については分かりませんが、復興プロジェクトは推進していきたいと思っています。

――これからの展望は?

 現在、直接的な伝道はしていませんが、地域の復興支援を通して、キリストの香りが放たれていけばいいと思います。また、被害を受けた信徒の家を再生して家庭集会を開くサポート、地域の子どもたちへの英会話教室などが岡キ災のもとで始められたらいいねという話をしています。

――ありがとうございました。

【岡山キリスト災害支援室 支援事務局】
日本聖約キリスト教団広江聖約キリスト教会
岡山県倉敷市広江5-2-25
Tel 086―436―6963
facebook「岡山キリスト災害支援室(岡キ災)」


ボランティア参加者の声

■泥かきをしながら、東日本大震災で出会ったKちゃんを思い出しました。Kちゃんの両親は、津波の被害のあった家の片付けで疲れていたのでしょう。小さい弟や妹の面倒は、長女であるKちゃんがみていたようです。Kちゃんは、ボランティアで行ったわたしとのボール遊びを、「久しぶりだ!」と喜んでいました。

 泥かきは一気には進みません。同じ場所を、何度も少しずつ……です。ボランティアのわたしでさえ、まだまだ人手が足りないなと、先の見えない作業にたいへんさを覚えます。被災地に住む方はなおのことと思います。想像することしかできませんが、あの時、Kちゃんの両親が置かれていたたいへんさを想いました。被災地の方たちの助けに少しでもなれば、と願いながらの泥かきでした。(20代 神学生 K・T)

■災害ボランティアに参加するのは初めてでした。不安が多い中、お祈りから始まり、同じクリスチャン仲間と一緒に作業できることがとても安心につながりました。作業はリーダーを中心にチームで活動できて、いい汗をかくことができました。一軒の家に20人ぐらいがお邪魔して作業をしましたが、まだまだやるべきことをたくさん残したまま終了の時刻となりました。災害のたいへんさに目のくらむ思いでした。貢献できたことはわずかですが、苦しみの中にある方々のために奉仕できたことは、自分にとって大きな喜びと学びになりました。(40代 公務員 匿名希望)

■神さまとの出会いがすべてでした。この21年間、物心ついた時から、漠然とした不安の中で生きてきました。大学前半は、自暴自棄になり荒れた生活を送っており、もう人生を諦めかけていた時期もあります。その時、友人の誘いで教会へと導かれ、こんな自分でも許してくれる神さまと出会い、救われました。そして、聖書を読む中で、あるみ言葉と出会います。「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである」(マタイ7:21)。わたしは単に救われてからも神さまに祈り続けていました。ですが、行動に起こす、み心を行う者こそが真のクリスチャンではないかと思い、気づいたらボランティアに参加していました。

 ボランティアでは牧師先生、伝道師の方、兄弟姉妹の方々、さまざまな人々と出会い、すべて神さまがその人たちを通して、わたしに今必要なことを語ってくださいました。今わたしは呼びかけます。行いを通して主のみ業を示そうではありませんか。今の日本はいつどこで災害が起こるか予測できません。どうかこの記事を読んだ人が1人でも「行動」を起こしてくださることを祈っております。(千葉大学3年 木村健太郎)

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