【宗教リテラシー向上委員会】 宗教家が他人の「意味」をあさる醜悪さ 波勢邦生 2018年9月21日

 「地震兵器HAARP(ハープ)」をご存じだろうか。米軍が開発したアラスカの「高周波活性オーロラ調査プログラム」である。2014年に廃止された電波・大気の研究施設でしかないが、陰謀論者いわく、多くの地震の原因である。荒唐無稽かつ不謹慎極まりない。しかし、新しい話ではないらしい。9月3日、信州戦争資料センターは、95年前の関東大震災でも「地震兵器」が話題になった、とツイッター上で指摘している。不安の置きどころを求める世情は、今も昔も国境を超えても変わらない。

 災害時には「陰謀論」が流行する。陰謀論ならば、一笑にふせる。では、「天譴論」はどうか。天譴論とは、自然災害に宗教的教訓を認める思考である。たとえば、石原慎太郎元東京知事の東日本大震災に対する「天罰」発言は典型的だ。それは災害を腐敗した人類社会への譴責とする態度である。

 仕事の一環で、日本だけでなく世界各地の自然災害における各宗教の対応を日々分析している。欧米では記録的熱波による森林火災、インドのケララ州やルーマニアの壊滅的な大洪水、先日の北海道では大地震。調べていると、いわゆるスピリチュアル系の霊能者らが「天譴論」を用いていることに気づく。彼らは、災害に現代社会への警告を読み取り、その意味を理解しているのは自分だけだと喧伝する。文字通り、「信者」と書いて「儲」かるようである。

 では、「天譴論」を語る宗教家や霊能者の問題は何か。それは、自然災害の理由を個々人の日常生活に帰する点にある。地球の地殻振動を、一個人に結び付けるというのはナンセンスに過ぎる。言うまでもなく「被災」は多くの人々にとって人生の分岐点になる出来事だ。とはいえ、地震と個人生活の関係を排他的に解釈できる人間は存在しない。もしいるならば、その人は宗教家や霊能者ではなく、地震予知の研究者になるべきだ。「災害」の意味は、個々人のものだ。

 自然災害に乗じて、宗教が人々の「意味」をあさって食い散らかす様子は控えめに言っても醜悪である。その様子は、サイコパスの殺人犯が笑顔で人をなぶるのに近い。宗教に意味を奪われるな、宗教家は黙れ、と言いたい。災害時、宗教家の為すべきは、勝手な意味づけや弱者につけ入ることではない。それぞれの宗教に基づいて、隠れて祈ることだ。その祈りの「意味」は、被災当事者や社会が決めればいい。

 確かに宗教は「意味」の世界を支えている。大災害を前にした人間の無力さに、不安を覚えて意味や確かさを求めるのは、普通のことだ。聖書でも、神の顕現に伴う自然現象として、地震、雷雨、洪水、火災が登場する。ノアの洪水は堕落した世界を沈めた。人間の力ではどうにもならない事象に、人々は神の力を見出した。これはキリスト教に限らず、人類共通の感性である。

 しかし、聖書が「神のことば」であるにしても、聖書を語る者は人間だ。だから、騙る。ノアの洪水とその理由は聖書に明記されている。しかし、インドやルーマニアの洪水は、聖書には一行も書かれていない。

 2018年、日本列島は大荒れだった。妙な表現だが「終末が終わらない」感覚がある。6月以降の大阪北部地震、西日本豪雨、記録的炎暑、そして台風21号である。台風一過、被害を確認する前に、今度は北海道胆振東部地震。特定の宗教を奉じていなくとも、やりどころのない不安を神仏に向けて祈りたくなるような日々である。しかし、救いを謳いながら、人の足元をすくう宗教もある。陰謀論と同じく、天譴論を一笑にふせる冷静さを保ちたい。そしてイエスのように、あさましい宗教家や霊能者を切り捨てて「下がれ、サタン!」と一蹴喝破しよう。

波勢邦生(「キリスト新聞」関西分室研究員)
 はせ・くにお 
1979年、岡山県生まれ。京都大学大学院文学研究科 キリスト教学専修在籍。研究テーマ「賀川豊彦の終末論」。趣味:ネ ット、宗教観察、読書。

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