【宗教リテラシー向上委員会】 奴隷制の歴史から「人間の尊厳」に向き合う 川島堅二 2018年10月1日

 9月11、12日と南山大学を会場に日本基督教学会学術大会が開催された。主題は「キリスト教からみる人間の尊厳」。主題講演を南山大学元学長のハンス・ユーゲン・マルクス氏(現・藤女子大学学長)が行い、南山大学の建学の宣言「人間の尊厳のために」から説き起こし、古代から中世、現代に至る「人間の尊厳」の思想を語られた。

 その中で特に印象的だったのは、スペインのドミニコ会士で国際法学者フランシスコ・デ・ビトリア(1486ごろ~1546年)が、スペインの植民地政策を批判し、新大陸の先住民保護を訴え「スペイン人が到着する前に、彼ら(先住民)は、公私両面において真の主権を持っていた」と主張していたこと。同じくスペインのスコラ学者フランシスコ・デ・スアレス(1548~1617年)が「多くの非キリスト教徒が、キリスト教徒よりも政治的に有能」と主張していたことだった。

 欧米における奴隷制廃止は、1833年イギリスの奴隷制廃止法を嚆矢とする。この法律によりイギリス植民地において奴隷の身分におかれている者は、すべての点において自由であり、一切の奴隷らしさから解き放たれ、絶対的かつ永久に解放されるとされた。しかし、すでにその300年近く前に奴隷制の根拠を突き崩す主張が、キリスト教(カトリック)神学者によってなされていたのだ。

 ただ、1866年教皇ピウス9世署名の教皇庁教訓では「奴隷制にはいくつかの正当性があり、これは権威ある神学者や教会法学者の手による参照文献もある」とされ、公式には19世紀末までキリスト教は奴隷制を容認してきた事実も同時に記憶されねばならないだろう。

 先見の明のある正しい主張が、教会の公式見解になるまで数百年の時を必要としたのはなぜかというフロアからの問いかけに、マルクス氏は簡潔に「勇気が足りなかった」と答えられた。

 奴隷制はすでに過去の事柄である。第二バチカン公会議(1962~65年)は、すべての形の奴隷制を「神の意志に反する」と宣言し、奴隷制を人間性に反するものとして拒否する世界人権宣言支持を表明しているからである。

 しかし、同じく先見ある人々によって問題が指摘されながら、今なお「人間の尊厳」が踏みにじられている問題がキリスト教世界はもとより、広く宗教界に存在しているように思われる。例えば性的マイノリティーをめぐる課題は「人間の尊厳」に深く関わる問題ではないだろうか。

 もう数年前になるが、憲法学が専門の同僚教授の授業で、日本で働き、子育てもしているイスラム教徒(男性)を招いての授業が行われ、傍聴したことがあった。スンナ派の穏健なイスラム教徒の日常生活を知る貴重な機会となったが、最後に同性愛のことが話題になった時に、あろうことか彼は同性愛を(当時感染の世界的広がりが危惧されていた)エボラ出血熱にたとえて否定したのだった。キリスト教主義のこの女子大学では、学内礼拝で、学生が自らレズビアンであることを気負わずにカミングアウトできる教育実践をしていたので、さすがにわたしも黙っていられず、そのたとえの不適切なことを注意したのだが、穏健な多数派ムスリムの発言だけにショックであった。

 しかし、キリスト教会もこの問題に正面から向き合っているとは言えないだろう。「人間の尊厳」を主題としたこのたびの学会でも性的マイノリティーをめぐる課題についてはまったく議論がなされなかった。奴隷制の轍を踏まないためにも「向き合う勇気」が求められている。

川島堅二(東北学院大学教授)
 かわしま・けんじ 1958年東京生まれ、東京神学大学、東京大学大学院、ドイツ・キール大学で神学、宗教学を学ぶ。博士(文学)、日本基督教団正教師。恵泉女学園大学教授・学長・法人理事、農村伝道神学校教師などを歴任。本年4月より現職。

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