【聖書翻訳の最前線】新改訳2017 5「『かたち』と『似姿』(創世記1:26)」 2018年9月21日

「かたち」と「似姿」(創世記1:26

 

[第3版]さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。

[2017]  さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。

 

 新改訳聖書が「原文が透けて見える」トランスパレントな訳出を目指していること(第三回記事を参照)がよく分かる例が、1:26の「かたち」と「似姿」です。これらの背後にあるヘブル語は、アラム語にも共通している対表現のツェレムとデムートで、両者共に名詞 (従来の邦訳聖書では、一つを動詞「かたどる」「似る」「似せる」として訳しています) です。「2017」では、1:26の「神のかたちとして」は、5:1で「神の似姿として」と対応しています。

 

[第3版]神は人を創造されたとき、神に似せて彼を造られ、

[2017]  神は、人を創造したとき、神の似姿として人を造り、

 

 ヘブル語ツェレムの訳語として、敢えて平仮名「かたち」が用いられているのには特別な意味があります。この「かたち」と訳されている語は英語のimage (像)に対応する語であって、form(形)のことではありません。

 今回の訳注で、現代語の用字用語の原則からすれば外れることを承知しながら、敢えて「かたち」あるいは、「像(かたち)」(脚注)としましたのは、第二版まで(口語訳を踏襲)のように「かたちに(造る)」ですと、どうしても漢字の「形」を意識させられ、「形に」と読まれてしまうからです。ここでは「像」(イメージ)としての「かたち」であることを読者に理解してもらう必要があるのです。

 

 「かたち」で意味されていることは、人間が神に似るように「形に則って」「鋳型にはめて」造られたことではありません。人が神の「像」であるということは、人が神に代わって被造物を「治める」役割を与えられていることと密接な関係があります。人は、神の「副指揮官」として、神のご性質を現す仕方で被造世界を治めるという大きな使命を与えられているということです。

 したがって、ヘブル語の前置詞 b (英語では通常 in))は「結果」として「神のかたち(像)となるように」造られたことを意味しています。邦訳としては、「神のかたちに」ではなく「神のかたちとして」または「神のかたちとなるように」が適切です。なお、「として」は、ヘブル語の前置詞を英語の”as”と訳し、それを日本語に訳した結果ではありません。

 

 新約聖書では、神の「かたち」は、「御子のかたち(エイコーン)」(ローマ8:29)、「男は神のかたち」(Ⅰコリ11:7)、「神のかたちであるキリスト」(Ⅱコリ4:4, Cf. コロ1:15, 3:10)等に、神の「似姿」はヤコブ3:9の「似姿」(ホモイオシス)につながります。

(新日本聖書刊行会)

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