【東アジアのリアル】 忍耐を強いられる中国の深刻な現況 遠山 潔 2018年10月21日

 2018年に入ってから徐々に圧力が増し加わった中国当局の家庭教会への取り締まり。それが今、さらに加速しつつあるようだ。先月、北京の代表的な家庭教会が閉鎖に追い込まれたことは周知の通りである。しかし、大都市よりも地方都市、あるいは、農村部の方が集会に対する圧力と迫害が厳しいようであることが話題となっている。

 王姉(仮名)は故郷の状況をこう話してくれた。「あまりにも激しい迫害の中、兄弟姉妹たちは教会に集まることすら許されなくなってしまった。スマホを使ってネットで説教を聴くことも、聖書を学ぶことも、共に賛美歌を歌うことも、今ではほとんどできなくなった。このままでは教会が危うくなり、信仰者一人ひとりの信仰も萎えてしまうだろう」。涙ながらに彼女は語ってくれた。「家庭教会が小グループに分かれているが、それは他に対処法がなく仕方がない(没方法)からだ。だが、そうなると、み言葉を語る説教者が足りなくなり、誰もが自分勝手に解釈し、語るようになる。真理が語られないために、異端に引きずり込まれる可能性も、特に地方では高くなるのではないだろうか」。そのような危惧の念を抱くと、彼女は話した。

 ある地方の家庭教会では、壁に貼ってあったイエス・キリストの肖像画を習近平国家主席のものと代えるように要求されたところまであるという。仕方なくその要請に応じた教会も少なくないようである。十字架を撤去されるだけでなく、礼拝堂の中にまでさまざまな要求をしてきている様子がうかがえる。何か戦時中の日本の教会を思い起こさせるようなこの現況に、その深刻さを感じざるを得ないのはわたしだけではないであろう。

 しかし、何も家庭教会だけが多大な影響を受けているようではなさそうだ。公認教会の三自教会もところによってはさまざまな拘束を受け、妥協案を模索しなければならない事態に陥っていると聞く。中には、とうとう教会の中庭に国旗を掲げることになった公認教会の三自教会も出てきたようだ。それが何を意味するのか、本当に理解した上での措置なのであろうか。この世に存在するためには仕方のないこととして済ませてしまって良いものなのだろうか。さまざまな疑念が中国の兄弟姉妹たちの中には大きな葛藤として残存しているようである。どうしたら良いのであろうか。そのような戸惑いが多くの中国人兄弟姉妹の正直な気持ちのようである。

 「これから中国の教会はどうなってしまうのだろう」――先の王姉は遠くを見ながら呟くように語った。「主はわたしたちに何をするように求めておられるのか、それを今、主のみ前に沈黙しながら待ち望んでいます。中国のためにさらに祈ってください」。彼女は切実なる願いをそのようにぶつけてきた。確かに今は耐え忍び祈ることだけなのかもしれない。祈り続ける時に、この嵐が過ぎ去った後、主が教会をどのように守り導かれたかを見ることが許されることを期待しながら。

 忍耐。今は忍耐。そのひと言に尽きますと王姉が繰り返し呟いていたのが印象深かった。

遠山 潔
 とおやま・きよし 1974年千葉生まれ。中国での教会の発展と変遷に興味を持ち、約20年が経過。この間、さまざまな形で中国大陸事情についての研究に携わる。国内外で神学及び中国哲学を学び修士号を取得。現在博士課程在籍中。関心は主に中国の教会事情及び教会の神学発展についての諸問題。趣味は三国志を読むこと。

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