【伝道宣隊キョウカイジャー+α】 正解なんて、ありません! キョウカイホワイト 2018年10月21日

 かれこれ20年ほど通っている喫茶店があります。文字通り、飲み物はお茶しかないお店です。その代わり、お茶なら紅茶に緑茶に烏龍茶、他にもさまざまなお茶が飲めます。先日、なじみの店員さんがこんな話をしてくれました。

 最近、紅茶の淹れ方に関するかなり詳しい本が出たらしいのですが、そこに書かれたことを鵜呑みにして、その本に書かれた通りに淹れなければならないと思うお客さんが結構来るのだそうです。「白鳥さん、なんで紅茶好きは正解にこだわるのでしょう? 正しい器、正しい茶葉、正しい淹れ方……それでなければまるで紅茶ではないみたいに考えるお客さんがホントに多すぎます! そういうお客さんは、自分の考える正しい淹れ方を他の人に押しつけようとしますね。お茶なんてあるもの適当に淹れればそれでいいのに……」という言葉を聞いて、小生は思わず考え込んでしまいました。

 これ、紅茶に限った話ではありませんね。教会でも同じことが言えるのではないでしょうか。正しい礼拝、正しい神学、正しい信仰生活……自分が慣れ親しんでいるものを基準にして、そこから少しでも違うものから学ぼうとしない。カトリックだから、プロテスタントだから、福音派だから、わたしたちとは違うから、だから学ぶところがあるはずなのに、その豊かな機会をわざわざ捨てていないでしょうか。

 この姿勢は、自分は正解を持っているので、それを人に教えてやろうという上から目線と結びついていることがとても多いように思います。小生の知る範囲では、教会だけでなく、政治的にリベラルな人たちの中にも同じ問題が見られるような気がします。自分が持っている正解に固執し、それを押しつけようとする限り、仲間を増やすのに苦労するのは当然です。

 この硬直した考え方は、学校教育に起因しているような気がします。正解があることが前提になっている教え方と教わり方が浸透しすぎた結果、どこにいても何をやっても正解と不正解に分けないと気がすまない。今の世の中が生きにくい理由の一端がここにあると思います。

 イエスが生きた時代も、今と同じように、あるいはそれ以上に、人は特定の生き方、特定の価値観を強いられていました。そこにこだわらなくてよい、本当に大切なことはそこにはない。そう主張することは、権力を持つ人間にとって、ひょっとすると単なる武力による反乱よりも危険なものだったのかもしれません。

 「解放の神学」とわざわざうたわなくても、イエスのメッセージは人を何かから解放する力を元々持っています。最近、新約聖書を読むたびにそれを感じます。そして、人間の持つ根源的な弱さ、愚かさ、醜さを旧約聖書以上に描いた書物があるでしょうか。小生は教会学校で保護者向けの聖書のお話を続けることで、このことを確信しました。

 前々号でブラックは「注解書なんて読むな! 教会の外で通じることばを語れ!」と言っていました。でも、小生はあえて皆さまに申し上げたい。もし、教会の外で通じることばを持っていないと感じるなら、聖書にしがみつき、注解書を駆使し、神のことばに全身を浸しましょう! その時、正解や不正解にとらわれない、隣り人を生かし、そして何より自分を生かすことばが示されます。そのことばはブラックのことばと同じく、あの方を指し示しています。

キョウカイホワイト
 白鳥 剛(しらとり・ごう) 通勤電車内での読書を愛するウンチク系ものしり博士。キョウカイジャー唯一の一般信徒。妻との生活を守るため、職場の理不尽に耐える姿はまさに社畜。武器:理屈/必殺技:おだやかな論破/弱点:ピーマン

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