【宗教リテラシー向上委員会】 教会のウクライナ問題と歴史の余波 波勢邦生 2018年11月1日

 正教会におけるウクライナ帰属先問題で世間が騒がしい。今後どうなるのか、歴史の一幕、分岐点となるだろうか。その余波も含めて気になっている。もっとも多くの読者にとってなじみがないと思うので、ごく簡単に前提だけ説明しておこう。

 キリスト教は、神の五指のように地球を掴(つか)んでいる。その五指とは、古代地中海の巨大都市を中心とした五大教区、ローマ、コンスタンティノープル、アンティオキア、エルサレム、アレクサンドリアの伝統である。東方ギリシア教会、一般に「正教会」と呼ばれるものは、ローマ以外の四つの伝統に、モスクワなど五つの主教座を加えた、九つの首座主教に代表されるキリスト教世界のことである。正教会の信徒人口は、ロシア、ウクライナ、ルーマニア、ギリシアと続く。

 一方、西方ラテン教会と呼ばれるのが、ローマに由来するローマ・カトリック教会、聖公会、またはプロテスタントである。

 今回のウクライナ問題は、2014年のクリミア危機以来、くすぶっていた「正教会」世界の懸案だった。一国に一教会を前提とする伝統的あり方と、近代国家と民族自決の問題、世俗法と宗教法の解釈が複雑にからんでいる。しかし「モスクワとコンスタンティノープルの仲違い」だけが過剰に取り上げられてしまった。例えば2014年のアンティオキア総主教庁とエルサレム総主教庁の間での、教会法上のカタール管区権を巡る「断絶」騒動は記憶に新しい。どんな教会も完全ではないのだ。

 10月11~19日、アンティオキア総主教イオアン十世は、セルビア正教会を訪問し、コソボ、シリア、ウクライナの問題について、一方的行動の危険性と合意形成の重要性を呼びかけた。単純化した報道が目立つが、気が早いと言わざるを得ない。

 転じて、日本と正教会の出会いを思えば、苦難の連続だった。1861年、函館に来た正教会の宣教師、後の亜使徒聖ニコライの活躍は、今「東京のニコライ堂」を中心に広く人々に親しまれている。しかし、1891年、来日中のロシア皇太子が警察官に切りつけられる大津事件が発生。さらに、1904年には日露戦争となった。これらの不幸がなければ、正教会は、もっと日本に定着していただろうに、と思う。

 一方で、大津事件の結果、生まれたものもある。皇太子の侍従アレクサンドル・ステパノヴィチ・ワホーヴィチは、本山恵子と出会い、アナキスト作家・大泉黒石(1893~1957、日本名:大泉清/ロシア名:キヨスキー)を生んだ。幼少期を長崎で過ごし、領事をしている父を頼りに中国・武漢へ渡るも、父と死別し、叔母につれられモスクワへ。文豪トルストイにも会ったという。その後、パリのリセに転入するも停学。欧州をぶらついて日本に戻り、再びロシアへ行くも革命となり帰国。旧制三高(現・京都大学)に入り、後に中央公論に投稿した『俺の自叙伝』(玄文社、1919年)で小説家となった。(※国立国会図書館デジタルコレクションの当該リンク )戦時中は「ひな鷲わか鷲」という作品も記した。

 黒石の息子に、俳優・大泉滉(1925~1998)がいる。数多の映画に出演した名脇役であり、『サンダーバード』では声優を務め、特撮、テレビドラマ、CMと膨大な作品に携わり、家庭菜園についても著した。音楽には「ダメおやじの唄」「UFO音頭」がある。

 「UFO音頭だよ、どこかの誰かさんが言ったとさ、地球と宇宙はおともだち、卑弥呼やイエスの時代からなんでも話した、打ちあけた……十万光年踊ったら宇宙の正体見えるでしょう」――大泉滉の歌声である。

 歴史的決断とその結果、その余波は、数十年を経なければ観測・分析できない。さすがに十万光年も踊ってしまうと忘れるだろう。しかし、正教会と日本の関係の余波ともいえる大泉によれば、歴史を判断するにはまだ性急に過ぎるのだ。

波勢邦生(「キリスト新聞」関西分室研究員)
 はせ・くにお 
1979年、岡山県生まれ。京都大学大学院文学研究科 キリスト教学専修在籍。研究テーマ「賀川豊彦の終末論」。趣味:ネ ット、宗教観察、読書。

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