【聖書翻訳の最前線】新改訳2017 9「主の祈り」(マタイ6:9-13) 2018年11月1日

「主の祈り」(マタイ6:9-13

 

主の祈りについて、「新改訳2017」で加えられた変更は三つです。まず、最初の祈り、第3版までの「御名があがめられますように」が、「御名が聖なるものとされますように」に変わりました。

 

新改訳をはじめ多くの邦訳で、これまで、「崇める」という動詞が使われてきました。日本語の「崇める」は「尊いものとして扱う、寵愛する」(広辞苑第三版)、「この上ないものとして扱う、尊敬する、敬う」(大辞林第二版)という意味ですから、ギリシア語のハギアゾーの持つ、他のものと区別して聖なるものとする、という意味が表せません。

 

「聖なるものとする」は日本語としてこなれていないし、まして受動態の命令形で表す祈りとなると、日常の言葉の感覚から離れてしまうかもしれません。しかし、それだからこそ、神ご自身を神でないものから区別し、他のいかなるものとも違う方としてあがめられるように、という祈りの訳としてふさわしいのではないでしょうか。神の聖性、聖という概念の認識が薄れてきている今日であれば、なおのこと、「聖なるものとされますように」と祈ることが求められているのではないでしょうか。

 

 第二の変更は、第五の祈り、特にその後半です。

 

[3版]
私たちの負いめをお赦しください。

私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。

[2017
私たちの負い目をお赦しください。

私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。

 

第三版の訳では、神による赦しを受けた自らが他の人たちを赦したことを挙げて、改めて神に赦しを求めていると理解できます。しかしまた、自分たちが他の人の負い目を赦したことを根拠に、自分の赦しを求めていると理解される危険性もあります。そうなると、赦しが恵みでなくなってしまいます。

 

ギリシア語の動詞、アフェーカメンは、アオリスト(不定過去とも呼ばれ、過去の動作を表すことが多い時制)なので、「赦しました」と訳す方が自然と思われるかもしれませんが、この時制は必ず過去の行為を表すわけではありません。劇的に表現するアオリスト、くり返される行為とか時を越えた行為を表すアオリストもあり、その場合は現在形で訳すことになります。

 

また、この動詞の背後にヘブル語の行為遂行的な完了形があると考えることもできるでしょう。この用法は、「約束します」とか「おわびします」といった表現に見られるように、発話が同時に当の行為の遂行を意味するものです。その場合は、現在形で訳す方がふさわしいことになります。「2017」では、他の人を赦し、自身についても神の赦しを求め続けて行くことと理解し、「私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します」と訳すことになりました。

 

第三の変更は、〔 〕に入れて本文に残してあった祈りの結び、〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕を脚注に移したことです。聖書協会世界連盟の校訂本で、原文になかったことはほぼ間違いないと判断されており、それに従いました。「主の祈りはあくまでも聖書の本文に従って」と考える立場に立つなら、結びを欠いた祈りを祈ることになりますが、教会の伝統にならって祈るということであれば、脚注から結びを補っていただければと思います。

(新日本聖書刊行会)

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