【聖書翻訳の最前線】新改訳2017 11 「使徒の働き/ローマ人への手紙」 2018年11月21日

11 使徒の働き/ローマ人への手紙

 

[3版]……「このことについては、またいつか聞くことにしよう」と言った。

[2017]……「そのことについては、もう一度聞くことにしよう」と言った。

 

新改訳聖書の第3版で使徒17:32-34を読むと、アテネでパウロのメッセージを聞いたギリシア人は嘲笑するか、「またいつか」と消極的な態度を示すかしてパウロから離れて行ったが、受け入れた人たちもわずかにいた、ということになります。第一コリント2:3で、パウロがアテネからコリントに移ったとき「弱く、恐れおののいて」いたと語っているため、彼のアテネ伝道は失敗だったと考えられたからです。

 

しかし、「またいつか」という言葉は、直訳すれば「また再び」で、必ずしも消極的態度を示すものではありません。二つのグループ、あざ笑った者たちと他の人たちは、対比されています。パウロの伝道が失敗であったのなら、信じた人々の名前が記されていることも妙です。

さらに、34節で「つき従い」と訳されている語は、膠がくっついて離れないといった意味で、彼らの強い意志や熱心さがうかがわれます。こうした点を考慮して、第二のグループが「もう一度聞くことにしよう」と積極的な態度を示したという理解に立ち、訳文を変更しました。英訳では、そのような訳が少なくありません。

 

次に、ギリシア語のノモスの訳語の問題です。ノモスはおおかた「律法」と訳されてきましたが、ローマ3:27や8:2では「原理」でした。確かに、神が定めた救いの方法という意味で「原理」や「法則」と訳すことは可能です。しかし、パウロ書簡においてノモスは基本的に旧約の律法のことですから、よほどの理由がない限り、「律法」と訳すべきではないでしょうか。この箇所の前後の文脈でパウロはノモスに言及しますが(3:20、21、28)、それも明らかにモーセの律法です。

またこの章の結びで、パウロは「信仰によって律法を無効にすることになる」のではなく、「むしろ、律法を確立する」ことになると述べています。すなわち正しく受けとめられた律法は有効なのであって、そのような律法を「信仰の律法」と表現したものと思われます。

 

律法の正しい理解は、5章の後半でも語られています。つまり、律法によって罪が明らかにされることにより、キリストにある恵みの賜物に目が開かれて行くのです。さらに、正しく理解された律法と、間違って理解された律法の対比は、9:31−32に見出されます。信仰によって律法に向かうことと、行いによって律法を追い求めることの対比です。こうした一連の流れにあって3:27は、行ないに対する報酬として義を得ようとする、誤解された神の律法ではなく、人を信仰に招くものとして正しく理解された神の律法によって「私たちの誇りは……取り除かれました」と述べていると理解できます。

 

ローマ8:2も同様です。正しく解釈された律法と誤用された律法が並んで語られ、前者によって人は後者から解放されると言われていると理解できます。もし、律法を行いによって義を実現するよう要求するものと解すれば、罪の問題は解決せず、罪の結果としての死を免れることはできません。しかし、律法によって罪を知らされ、その解決のために死なれたキリストを仰ぐなら、御霊のもたらす新しいいのちに生きる道が開かれます。

まさしく「キリスト・イエスにあるいのちの御霊の律法」が明らかにされ、それを受け入れることによって、人は「罪と死の律法」から解放されるのです。ここでも「原理」でなく「律法」と訳すほうが、律法の役割を注意深く論じてきたパウロの議論にふさわしいでしょう。

 

[3版]なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。

[2017]なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の律法が、罪と死の律法からあなたを解放したからです。

(新日本聖書刊行会)

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