【宗教リテラシー向上委員会】 多様なセクシャリティの気づきへ 川島堅二 2019年1月21日

 ゴールデン・グローブ賞で作品賞&男優賞の2冠を獲得した話題の映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観た。イギリスのロックバンド「クィーン」のリードヴォーカル、フレディの半生を描いた作品である。特にフレディがゲイという自分のセクシャリティを自覚していくプロセスと、それを家族が受け入れていく様子が丁寧に描かれていたのが印象的だった。

 フレディの家庭の宗教がゾロアスター教であることも初めて知った。この宗教の教典『アヴェスター』によれば同性愛者は永久に救われない。中世ゾロアスター教の冥界旅行記『アルダー・ウィーラーフの書』によれば、死後は地獄で「蛇が肛門や口から出入りして苛まれる」とされている。フレディの家族、特に父親がフレディのセクシャリティを認めるハードルの高さは容易に想像できる。長い時間をかけて、フレディ自身も、そして家族もこの事実を受けとめていったのだろう。

 かくいう私もセクシャリティの多様性を認めるまでに相当な時を要した。神学校を20代半ばで卒業して教会の伝道師・牧師として働いた10年間は、ほぼ一貫してカール・バルトの倫理学の立場であった。神は人間を男と女に造った。したがって男と女という性別は神からの賜物(Gabe)であると同時に課題(Aufgabe)なのだ。同性愛は、この課題に背を向けること、神の戒めを軽視することだと考えていた。

 転機は30代半ばでキリスト教主義の女子大へ転職して訪れた。そこでは多様なセクシャリティへの配慮がごく自然に行われていた。例えば夏休みの恒例行事、学生宗教部主催のキャンプ。宿舎に一つしかない浴室の使用を男女別の時間帯で分けると共に、特に独りで入浴したい人のための時間が設定されていた。そういう中で、自分がレズビアンであることを学内礼拝で証しする学生も自然と現れた。当事者とまったく出会うことなく同性愛者について判断していた自分の偏見に少しずつ気づかされていったのだった。

 現在の日本のキリスト教界もこの気づきのプロセスにあるのだと思う。依然として偏見に満ちた言説がある一方で、状況は確実に変わってきている。同性愛を「双方の立場から」論じ合った書物ジェフリー・サイカー編『キリスト教は同性愛を受け入れられるか』(2002年)、カナダ合同教会の取り組みを紹介したアリソン・ハントリー『カナダ合同教会の挑戦』(2003年)、同性愛断罪の根拠とみなされてきた聖書テキストの網羅的かつ精緻な見直しを試みた山口里子さんの『虹は私たちの間に』(2008年)、牧師でレズビアン堀江有里さんの『レズビアン・アイデンティティーズ』(2015年)、そしてゲイであることをカミングアウトしてから牧師になった平良愛香さんの『あなたが気づかないだけで神様もゲイもいつもあなたのそばにいる』(2017年)――前世紀にはこの問題について日本語で読める書物がほとんどなかったことを考えれば格段の前進である。

 平良愛香さんがゲイであることをカミングアウトした時、牧師である父親に「お前はまだすばらしい女性と出会っていないから自分がゲイだと思っているのだ」と言われたことについて、残念ではあったけれども、それほど大きなショックではなかったとし、「父には手放しで理解してほしくないという気持ちがあった」「父にはわかるはずがない、こちらは長年キリスト教によって苦しんできたのだから」と書いている。そして大切なことは「悩み続け、考え続けること」だとも。

 足踏み状態はあるかもしれない。しかし、この歩みにもはや後退はないのだと改めて思う。

川島堅二(東北学院大学教授)
 かわしま・けんじ 1958年東京生まれ。東京神学大学、東京大学大学院、ドイツ・キール大学で神学、宗教学を学ぶ。博士(文学)、日本基督教団正教師。10年間の牧会生活を経て、恵泉女学園大学教授・学長・法人理事、農村伝道神学校教師などを歴任。

連載一覧ページへ

連載の最新記事一覧

TO TOP