広島で被爆後、受洗、渡米… サーロー節子さん来日 〝核廃絶に向け祈りと共に行動を〟 2019年1月21日

 広島で被爆し、2017年にノーベル平和賞を受賞した国際NGO核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)で活動するサーロー節子さん(カナダ合同教会員)が昨年末、広島女学院(湊晶子院長)の招きで来日し、各地での講演を通して核廃絶へ向けた行動を呼び掛けた。

 サーローさんは、高校でYWCAの活動に熱心に取り組むと共に、世界教会協議会(WCC)の冊子に見つけた1節に心を打たれ、16歳で日本基督教団広島流川教会牧師の谷本清氏から洗礼を受ける決意をした。

 11月23日は母校の広島女学院大学(広島市東区)で「キリスト教主義女子教育と平和――私が受け取ったもの、あなたに託したいもの」と題して講演し、「広島女学院での10年間は私の人格形成や生涯の成長につながる基本的な指標を与えられた。毎日の礼拝を通して、考えさせられる機会を与えられ、創造主たる神と人間との関係、また隣人への責任感、人生観なり世界観の確立に導かれ、支えられた。これが人生の基本的な学びとなり、原動力となった」と当時を回顧。「命ある限り、人間が人間らしく生きることができる社会を、平和で安全で公正な世界を作り出すために、核保有国と核依存国に行動を迫り続ける覚悟」と訴えた。

〝道義的責任を果たすチャンス〞
牧師の姿見て「人を助けたい」

 東京では政府高官(内閣官房副長官)や与党幹部などと会談し、核兵器禁止条約への参加を求めて要請を行ったサーローさん。安倍晋三首相宛の書簡には、「日本政府は核軍縮のための『橋渡し』になると言っていますが、核兵器禁止条約の価値を是認すらせず、核保有国の立場を代弁ばかりするような今日の外交姿勢には、説得力がありません。核保有国の共犯者になっているようにすらみえます。みせかけの『橋渡し』ではなく、核兵器廃絶に向けて献身的に活動している被爆者や市民社会組織との真の対話と協議を深めてください」との要望を綴った。

 その後の記者会見で、来日して最も嬉しかったことは「若い人たちと会えたこと」と答え、「本当に報われた感じがした。若い世代は核兵器や戦争のことを考えていないと言われるが、私が今回出会った若い人たちは、私の話を真摯に受け止め、乾いたスポンジのように耳を傾けてくれた」と振り返った。

 12月4日、東京・六本木にある国際文化会館岩崎小彌太記念ホールで行われた講演会「被爆者として北米に生きて」(国際文化会館主催)では、集まった市民ら約200人を前に、自らの被爆体験をはじめ、ICANの活動に関わるようになった経緯などを話した。

 13歳で被爆したサーローさんの目には、「何者か判別できない溶けた肉の塊」と化した当時4歳だった甥の姿が今も焼き付いている。広島女学院でも351人の若い命が失われた。「原爆による犠牲者は14万人という数字で語られがちだが、一人ひとりに名前があり、皆誰かに愛されていた」

 1954年、大学を卒業し、ソーシャル・ワークの勉強をするためアメリカに留学した動機について、「戦時中に疎開し、戦後放置された孤児たちを支援する教会の牧師や無私の心を持った大人たちの姿を目の当たりにし、自分も人を助ける人間になりたいと思った」と話す。

 当時、ビキニ環礁の水爆実験を受け、現地メディアの取材で「非人道的」と非難したことから、「奨学金をもらっているくせに」「日本に帰れ」などの猛烈なバッシングにさらされる。原爆を批判することなく政府のプロパガンダを鵜呑みにし、正当化していたアメリカ人の姿は、戦時中の日本に重なって見えたという。

 カナダのトロントに移住してからも、現地の無関心と対峙しながら、教育の重要性を訴え制度改革にも取り組むようになる。「被爆者には、同じことが二度と起こらないよう、世界に対して語り続ける道義的な責任がある。国連での条約批准は、人類の苦しみを知る日本が核兵器をなくすために責任を果たすチャンス」とサーローさん。

 質疑で「私たちがすべきこと」を問われると、「公の場で政府と市民が大いに議論すべき。私たちにはそのような場を求める権利がある」「広島では『健康に気を付けて』とか、私のために『祈っています』と言われたが、それぞれの意見を発信し、祈るだけでなく行動を起こしてほしいと訴えた」と応答。

 また、東アジアでは日本軍によって親族を殺され「原爆は当然の報い」と考える若者たちに出会うことも多いが、「彼らの声に耳を傾け、心を開き、一人の日本人としてお詫びをする。しかし、核の問題は違った次元で互いに納得し合えるような形で取り組むことができるはず。一方的に被爆体験を訴えても信頼関係は築けない。カナダでも、多くの移民・難民がそれぞれの問題を抱えて集まっている。それぞれの痛みに理解を示さなければメッセージは届かない」と呼び掛けた。

 「5年後、10年後の日本に何を期待するか」との質問には、「核の傘に隠れるのではなく、道義的責任を発揮し、世界から信頼され尊敬される国であってほしい。互いの尊厳を認め合い、持てる者も持たざる者も安全で公平に生活できる社会になってほしい」と期待を込めた。

 サーローさんの被爆体験については、手記「沈黙の閃光」の抜粋が昨年7月に刊行された『私の八月十五日⑥戦後七十三年目の証言』(今人舎)にも収録されている(全文は原水爆禁止日本協議会ホームページ https://bit.ly/2VX796p)。

 「廃墟から這い出てきた私たちは、いま世界を脅かしている核の破局を垣間見ました。私のことをお話しするのは同情を得るためではありません。警告なのです」

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