【宗教リテラシー向上委員会】 「会いに行ける」時代の課題 池口龍法 2019年2月1日

 年始早々から、新潟を拠点とする女性アイドルグループ「NGT48」のメンバーが自宅玄関先で男性2人に暴行を受けたという事件が、メディアのニュースで報じられた。襲撃されたメンバーが、運営サイドの対応の怠慢を告発したこともあり、芸能活動を行ううえでの適切な仕組み作りにまで、議論が及んでいる。

 この事件に限らず、アイドルとファンのあいだでのトラブルが後を絶たないが、その理由としてよく指摘されるのは、ファンとの距離感の近さである。すなわち、現代を代表するアイドルグループ「AKB48」は、「会いに行けるアイドル」をうたい、自らの名前を冠した小劇場(定員250人)での公演を重ねている。2015年に結成された姉妹グループの「NGT48」は、より地域に密着した活動を展開してきた。

 アイドルといえば、1980年代に活躍したおニャン子クラブなどを思い出す人も多いだろうが、当時はテレビ越しに姿を拝むか、巨大なコンサート会場で遠くからステージを眺めるというのが、アイドルとファンの距離感だった。だから、「アイドルはトイレに行かない」というほどの虚像を演じる必要があったが、現代はむしろ同じ人間としての温かさやリアリティが重んじられる。どちらが正解ということではなく、時代の要請に応じてファンが求める距離感は変わるし、またそれに伴って運営のあり方も変わらざるをえないということだろう。

 さて、NGT48メンバーへの暴行事件は、一見、我々の世界とは縁遠い話のようでありながら、宗教施設や聖職者が今日的な姿へと転換していくうえでの大きな教訓を与えるものだと、私には思われた。というのも、自分で言うのは少し気が引けるが、聖職者もまたアイドルの一種だからである。したがって、「会いに行けるアイドル」が求められる時代には、「会いに行けるお坊さん」が求められるだろう。近年、バンド活動に精を出して仏教の教えを広めたり、たくみにSNSで情報発信して人気を集めたりする僧侶などもいるが、これはまさしくアイドルグループの隆盛ぶりと重なる。

 しかしながら、「会いに行けるお坊さん」が活躍し、「会いに来てくれるファン」が増えることを手放しで喜べない事情もある。私もSNSなどを駆使して情報発信を試みている一人であるが、フォロワーが増えて注目を浴びるにつれ、プライバシーがとめどなく削られる。アイドルグループのメンバーなら、住所などの情報が公開されることはないが、お寺などに住んでいる聖職者は、住所も電話番号もすぐに特定されてしまう。「お参りに来ました」とふらっとやってきて、「実は最近死にたくて」と重たい話を延々と語られることもある。ファンとの距離が近いというのは、アイドルグループ同様に、メリットばかりではないのである。

 お寺が地域の中心にあって、そこには会いに行けるお坊さんがいて――というのは美しい風景である。しかし、SNSで情報がとめどなく拡散されていく時代に、住職が丸腰で参拝者を受け入れ続けるのは厳しい。聖職者およびその家族を守るための仕組み作りが急務である。防犯カメラの設置やプライバシーが守られる空間設計もその一つだが、もっとも頼りになるのは、お坊さんとファンとの距離が近づきすぎないようコントロールしてくれるマネージャーの存在である。檀信徒や地域の人々のサポートをいただき、お寺をいかにして安全に不特定多数に開放していくのか。入念な検討がなされるべき時期に来ている。

池口龍法(浄土宗龍岸寺住職)
 いけぐち・りゅうほう 1980年、兵庫県生まれ。京都大学大学院中退後、知恩院に奉職。2009年に超宗派の若手僧侶を中心に「フリースタイルな僧侶たち」を発足させ代表に就任、フリーマガジンの発行などに取り組む(~15年3月)。著書に『お寺に行こう! 坊主が選んだ「寺」の処方箋』(講談社)/趣味:クラシック音楽

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