【東アジアのリアル】 バチカン・中国間の暫定合意がもたらすもの 倉田明子 2019年2月21日

 2018年9月22日、バチカンは中華人民共和国外交部との交渉の末、司教の任命をめぐる暫定合意書に署名した。合意書の全容は明らかにされていないが、中国政府が公認する「中国天主教愛国会」が独自に選んできた7人の司教(教皇庁はこれまで、彼らを破門していた)を、バチカンが正式な司教として認める内容が盛り込まれていた。バチカン側は声明でこの合意を「世界平和の基礎づくりのためにも重要なもの」と位置づけ、評価したという。

 確かに、バチカンと中華人民共和国の歩み寄りは歴史的な出来事であり、バチカンから見た時、今回の合意によってこれまで彼らの司牧の体系下になかった600万人以上とも言われる中国公認教会の信徒との「一致」が実現することは、無視できないインパクトを持つ。

 だが他方で、この間中国には「地下教会」ないし「家庭教会」として、中国政府からの弾圧や圧力を受けながらも、バチカンとの関係を維持し、バチカンから任命を受けて司牧を担ってきた司教たちもいる。今回の合意によって彼らとその教会はどうなっていくのか、中国政府からの彼らに対する統制がますます厳しくなるのではないかという懸念はぬぐえない。

 実際つい先日(1月30日)、政府公認の中国司教団副主席の司式で、中国・河南省の南陽教区の補佐司教を任命する典礼が行われた。この時任命された靳禄崗(ジン・ルガン)司教は、2007年にすでにバチカンが補佐司教に任命し、2010年から教区長としての責務を担わせていた人物である。しかし中国政府はこの差配を認めず、別の高齢の司教を教区長として任命していた。従って、中国政府による今回の靳司教の任命は、バチカンの任命を追認するように見える一方で、すでに実際には担っている教区長としての責務を今なお認めない措置(ある種の降格)でもある。

 しかも、今回の典礼で靳司教は、「国家の憲法を遵守し、国家の統一と社会の安定と団結を守り、国家と宗教を共に愛し、中国のカトリック教会が中国化へと向かう方向性を堅持する」云々と宣誓したとされる。すでに本欄でも紹介されたように、現在中国では宗教の「中国化」が推進されようとしている。これまで中国政府に抗いながら信仰を守ってきた宗教指導者や信徒までもが、結果的に中国共産党の権威を最上段に置く「中国式」の宗教信仰のもとに取り込まれていかなければならないとすれば、彼らの前途は決して明るいものとは言えないだろう。

バチカンと北京の交渉の内幕を明かした陳日君枢機卿の近著『わが民への愛ゆえに、われ黙せず』

 だが、中国国内にいる彼らが公に声を上げることは極めて難しい。そうした中で、昨年9月の合意報道から現在に至るまで、バチカンの姿勢に対して警鐘を鳴らし続けているのが、香港でかつて教区長を務めた陳日君(ゼン・ゼキウン)枢機卿である。彼はこれまでも一貫して、中国国内のキリスト教迫害や天安門事件、香港の民主化などについて発言し、行動してきた。今回の合意についても、陳枢機卿は10月にはニューヨーク・タイムズ国際版に「ローマ教皇は中国のことを理解していない」という題で寄稿し、ローマ教皇は中国に譲歩しすぎており、中国政府によるカトリック教会迫害の下地をつくってしまった、「中国における真の教会の消滅」を招く、と主張している。

 またやはり10月末にバチカンに赴き、教皇に中国の「地下教会」の窮状を訴える親書を手渡した。1月22日に自身のFacebook上で公開した文章でも、昨年の合意以降中国国内で表面化しつつある、司教や司祭の合法性(バチカンに任命された司祭と中国独自に任命された司祭のどちらが「正式」な司教なのか、といったこと)の問題や、非公認教会が公認教会と合同させられていく事態に懸念を表明している。

 ただ、それでも陳枢機卿は、中国国内の信徒に対し「事が明らかになるまでは、妄動せず、あらゆる混乱を堪え忍びなさい」「教皇を攻撃してはならず、政府を挑発してもいけない、罪なき子羊は黙々と私たちを救ってくださったのですから」と呼びかけて、この文章を締めくくっている。なかなか先の見通せない現在の中国の宗教事情が垣間見える。

倉田明子
 くらた・あきこ 1976年、埼玉生まれ。東京外国語大学総合国際学研究院准教授。東京大学教養学部教養学科卒、同大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了、博士(学術)。学生時代に北京で1年、香港で3年を過ごす。愛猫家。専門は中国近代史(太平天国史、プロテスタント史、香港・華南地域研究)。

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